大嶋 拓 Oshima Taku

1963年(昭和38年)4月6日、東京都世田谷区に生まれる。1971〜72年、小学2年生の時、特撮テレビ映画「帰ってきたウルトラマン」と「仮面ライダー」の撮影現場を見学したことがきっかけとなり、翌73年から8ミリフィルムカメラを回し始める。

1977年、中学校の先輩や友人らと製作した「ひとかけらの青春」(脚本、出演等で参加)が第1回PFF(ぴあフィルムフェスティバル)に入選。映画作りの面白さにさらに魅せられ、高校、大学時代も作品製作にいそしむ。

1988年、慶應義塾大学文学部人間関係学科人間科学専攻を卒業。この時期に学んだ臨床心理学やカウンセリング理論などは、後の作品製作に影響を与えることになる。同年、「ドコニイルノ?」がPFFに入選。また大林宣彦監督のビデオ作品「香織の、―わたしものがたり。」で脚本家デビュー。映画「ツルモク独身寮」やVシネマ「あなたの知らない世界」「いつだって今が始まり」などのシナリオ、企業PVの構成台本等を多数執筆する。

1994年(平成6年)、初の劇場用長編作品となる「カナカナ」を製作・監督。29歳の独身女性と13歳の不登校少年の奇妙なひと夏の同棲生活を描いたこの作品は、モントリオール、ベルリン、ウイーン、シドニーなど数多くの国際映画祭に招待され、「新感覚の日本映画の出現」と称された(国内公開は1995年)。また同作品で、1996年日本映画製作者協会フェスティバル新人部門ベスト3に選出。

1999年には、ジャズヴォーカリストの鈴木重子と、当時「小劇場界のプリンス」と呼ばれていた堺雅人を初めて映画に起用した長編第2作「火星のわが家」(共演:ちわきまゆみ、日下武史)を製作。火星の土地売買と老親の介護をからませたユニークな内容が評価され、第12回東京国際映画祭にてプレミア上映後、2000年に公開。2001年の日本映画監督協会新人賞の最終選考作品となる。

2000年以降は、「パーソナルシリーズ」と銘打ったドキュメンタリックなドラマ作品をデジタルビデオカメラを駆使してコンスタントに製作。2005年には、実父である劇作家・青江舜二郎(秋田県出身。1904〜1983)の生誕百年記念作品として、「水のほとり」「実験室」の2作品をCD/DVD化。また日本大学藝術学部との共催で、生誕百年記念イベントをプロデュースする。

2008年、田中圭の初主演作品となる「凍える鏡」(共演:冨樫真、渡辺美佐子)を製作、公開。精神科医の監修のもと、「自己愛性パーソナリティ障害(人格障害)」を日本で初めて取り扱った作品として話題を呼ぶ。

2009〜10年、「秋田魁新報」学芸欄に青江舜二郎の評伝を1年にわたって連載。2011年、連載時の原稿に加筆修正を施し『龍の星霜 異端の劇作家 青江舜二郎』(春風社)として刊行。2012年、一連の顕彰活動により、秋田県芸術選奨特別賞(ふるさと文化賞)を受賞。

2013年、影絵専門劇団「かかし座」の舞台裏に密着した初めてのドキュメンタリー作品「影たちの祭り」を製作、公開。2014年、厚生労働省社会保障審議会 特別推薦児童福祉文化財に選定される。

2017年、足かけ10年を費やした歴史ドキュメンタリー作品「鎌倉アカデミア 青の時代」を製作、公開。作中には、この年2月に亡くなった鈴木清順監督の最晩年のインタビュー映像が収められている。

2019年(令和元年)には、鎌倉アカデミア演劇科1期生で、「生きる」「七人の侍」(黒澤明監督)「ゴジラ」(本多猪四郎監督)など多くの映画に東宝専属俳優として出演してきた加藤茂雄の、93歳で初となる主演作品「浜の記憶」を製作、公開。ギネスブック認定年齢の89歳を大幅に超える壮挙として、各方面から注目を集める。

2020年、新型コロナウィルス感染拡大のため創立20周年記念公演を断念しながらも、1回だけの自主公演に挑む女性アクロバットダンス・カンパニー G-Rocketsの奮闘を記録したドキュメンタリー「空へ ふたたび」を撮影。翌年、半年に及ぶ編集作業を経て、2022年に公開。