日本宇宙旅行協会

原 田 三 夫


この作品に登場する「火星の土地分譲」は、1956年から57年にかけ、「日本宇宙旅行協会」という団体によって実際に行われていたものである。とはいうものの、上の画像を見ていただければわかるように、発行されていたのは土地の権利証ではなく、あくまで分譲の予約受付証であり、「来たるべき将来、人類が火星に到着して土地の開発事業が成功した場合には、あなたの予約申し込みを最優先し、十万坪を分譲します」という、かなりマユツバな内容であった。しかし折からの宇宙開発ブームが追い風となり、最盛期には五千人以上がこの火星の地主に名を連ねていたという。その中には江戸川乱歩(作家)、早川雪州(俳優)、横山泰三(漫画家)、徳川夢声(漫談家)といった当時の有名人、文化人も多数含まれており、56年の大晦日には、日比谷の日活国際会館の屋上に大望遠鏡20台を並べ、盛大に「火星地主大会」まで開催されている。大嶋拓の亡父・青江舜二郎(劇作家)が1000円を納めて予約申し込みをしたのもそんな流行のピークのころのようだ。当時のパンフを見ると、申し込みをした地主たちの、「私なら十万坪をこう使う」といった夢などが実に楽しげに語られており、興味は尽きない。その頃の「大人たち」は、今よりはるかに遊び心が豊かだったということだろうか。だが、数年後には宇宙開発ブームも下火となり、またマスコミからは「火星の土地分譲はサギではないのか」といった批判も起こって、会の活動規模は次第に縮小していった(協会はその後、日本宇宙飛行協会と改称し、現在は休眠状態)。


 火星地主大会のひとコマ(1956年12月31日)


このエピソードだけを取りあげると、日本宇宙旅行協会という団体は相当にうさん臭そうだが、本来の姿は、ドイツ、アメリカ、イギリスなど各国の宇宙旅行協会の連絡機関である国際宇宙航行連盟(IAF)の要請を受け、少年少女向けに多くの科学普及書を著わしていた原田三夫(1890−1977)が53年、民間の科学者を集めて設立した大真面目な研究団体である。55年にアメリカが人工衛星の打ち上げを宣言すると世界で人工衛星ブームが巻き起こり、原田は全国に三十の観測所を設け、観測法の研究と指導のため日本中を回った。また同じころに各地で開催された宇宙博覧会のほとんども彼が手がけたものだという。火星の土地分譲については、酒の席での冗談だったのが、NHKの番組で取り上げられ、あとに引けなくなって始めたというのが真相で、より大衆レベルでの宇宙開発への関心を高めることが主な目的だったようだ。在野の科学者として87歳で没するまで、幅広くユニークな啓蒙活動を行なった原田の生涯は、「火星のわが家」の神山康平のキャラクターに色濃く投影されている。

[参考文献]
「思い出の七十年」(原田三夫著・誠文堂新光社・1966)
「火星案内」(原田三夫著・日本宇宙旅行協会・1957)
「宇宙旅行」第16号(日本宇宙旅行協会・1959)
「宇宙飛行」第56号(日本宇宙飛行協会・1977)

(この文章は「火星のわが家」劇場公開パンフレットに掲載されたものを一部改訂し転載しました)

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申し込み者に配られた「火星案内」(上)と
作中にも登場する予約受付証(右)。