特撮スタジオ探訪録:帰ってきたウルトラマン

「帰ってきたウルトラマン」は1971(昭和46)年4月2日(金)から放送が始まった。その翌日には「仮面ライダー」が始まり、この2作品が第2次特撮ブームの起爆剤となったのは周知の通りである(同年1月からは「宇宙猿人ゴリ」がスタートしていたが)。
その年私は小学校2年生。幼稚園に入る前から「ウルトラマン」「マグマ大使」「ジャイアントロボ」などに登場する怪獣に強く魅かれ、怪獣ごっこや怪獣お画描きに明け暮れていた少年にとって、新作がテレビに登場するというのは何より心が躍る出来事であった。しかも「帰ってきたウルトラマン」を演じるのは若手俳優の菊池英一(現・きくち英一)氏。日本大学芸術学部演劇学科での父(青江舜二郎)の教え子である。
菊池氏は以前から何度かうちに遊びに来たことがあり、私なども可愛がってもらった記憶がある。根っから優しい気立ての持ち主で、1967年4月にわが家が読売ランドから生田に引越しをした時にも、何人かの日大の仲間たちとともに手伝いに来てくれた。当時私はまだ4歳になったばかりだったが、忘れもしない、その日は何と初代「ウルトラマン」最終回の放送日だったのである。荷物の搬入も終わり、どうにか片付いた応接間の一隅に設置された白黒テレビ。そのテレビを囲んで、父や日大の人たち数人と最終回「さらばウルトラマン」を見たのだが、その場に、菊池氏もたしかに同席していたのである。まさか、次のウルトラマンを演じることになる人と一緒に、初代の最終回を見ていたとは…。この時は菊池氏本人も、まさかそんなことになるとは思いもしなかっただろう。

さて、私たち怪獣世代の期待を一手に背負って始まった「帰ってきたウルトラマン」だが、いろいろと工夫は凝らされていたものの、何故か時代の流れは「ウルトラ」から「ライダー」へ、すなわち巨大ヒーローから等身大ヒーローへという転換期を迎え、ずいぶん苦戦しているようだった(とはいえ視聴率は後半は25%前後で、かなりの人気番組ではあったが)。かくいう私なども、「仮面ライダー」の方に深く入れ込み、連日学校から帰ると友人たちと裏山で「ライダーごっこ」に興じていた。一説によると、「ウルトラ」より「ライダー」が受けた理由は、簡単に「ごっこ」ができたかららしい。「ライダー」は人間大のヒーローと怪人が、当時日本のあちこちにあった、切り崩した造成地をバックに、パンチやキックを駆使して戦うのだが、「ウルトラ」の方は、巨大なヒーローと怪獣が、ビルや道路を壊しながら、光線を出して戦う。見た目は派手だが、子供にとっては「ごっこ」のしようがないというわけである。また、初期のウルトラ怪獣に比べ、帰マンの怪獣は造形的に今いちなものが多く、「ライダー」に毎週登場する魅力的なデザインの改造人間に完全に喰われていたように思う。

とはいえ、やはり老舗の魅力は完全に褪せたわけではなく、「ライダー」とともに「帰マン」も毎週欠かさず見ていたし、二子玉川園(という遊園地が当時あった)で行われた怪獣ショーにも春、夏の2回出かけていた。一方菊池氏は、サインの入ったウルトラマンのブロマイドを何度か送ってくれ(下写真参照)、「撮影現場を見てみたい」という興味は日増しに高まっていく。父にはその辺のことは、かなり早くから「おねだり」していたと思うが、やはり大人というのはそれなりに忙しいもので、晴れて撮影所見学が実現したのは、秋もかなり深まった1971年10月25日(月)のことであった。


 菊池氏のサイン入りブロマイド(第33話「怪獣使いと少年」より)

 同上(第10話「恐竜爆破指令」より)


「帰マン」の撮影が行われていたのは世田谷区大蔵の東宝ビルト。砧にある東宝撮影所から500メートルほど南に入ったところにあり、当時は「美セン」(東宝美術センター)の通称で親しまれていた。小田急線の成城学園駅から多分タクシーで行ったと思うが、父に連れられてのことなので、経路は定かでない。撮影所に着くと、案内されるままに、「帰マン」の特撮ステージに向かった。
この日撮影されていたのは、第35話「残酷!光怪獣プリズ魔」。脚本をかの岸田森氏が執筆したという異色の作品であった。ちょうどウルトラマンはお仕事中で、ステージ内のプールの中。恐る恐る中をのぞき込んでいると、出てきてくれたのが、いつもは怪獣の中に入っている遠矢孝信氏。この時の怪獣プリズ魔は、着ぐるみではなく全身プラスティックの置物のため、怪獣役の遠矢氏は手が空いているとのことであった(菊池氏の著書「ウルトラマン・ダンディー」によれば、遠矢氏はこの時、プリズ魔を後ろから押していただけで、同じギャラをもらっていたとのこと)。彼もまた日大芸術学部の卒業生で、菊池氏の後輩。先輩後輩でウルトラマンと怪獣を演じているのであった。ステージ内は予想以上に暗く、持ってきたカメラはストロボがついていなかったので、写りそうになかった。私が落胆していると、遠矢氏は「ちょっと貸して」とカメラを持ってウルトラマンのそばに寄り、何枚かシャッターを切る。写っていることは、ほとんど期待はしていなかったのだが、現像してみると写真はパーフェクト!(下の2枚)。遠矢氏の腕前には、ただただびっくりであった。


  


この日は海岸でのプリズ魔とウルトラマンの戦いのシーンで終了。戦いといっても相手は置物なので、普通の怪獣と違って取っ組み合いのシーンはなく、子供心にも少々物足りなく思えた。ステージの奥には野球場のセットが置かれてあり、これは後日使うのだという(この作品のクライマックスシーンは後楽園球場での戦い)。また、同時進行で撮影されていたのは第34話「許されざる命」で、ステージの外には、合性怪獣レオゴンの着ぐるみと、ほぼ同じ大きさに作られた爆破人形(発砲スチロール製)が置かれていた。34話でも水中対決シーンがあったから、おそらく同じプールでこの前後に撮影が行なわれたものと考えられる。どちらかというと、レオゴンの方が見たかった、と、30年以上経った今でも思ってしまうのだから幼児期の恨みは深い(下左が発砲スチロール製。柵を持ち上げているのが遠矢氏)。


  


撮影が終わって外に出てきた菊池氏、そして遠矢氏と記念撮影。ここで紹介するのがその一連だが、このうちの2枚は「ウルトラマン・ダンディー」の中でも使われている。私が写っているものは父が、それ以外は私が撮ったものである。


  

  

  


撮影にまつわるエピソードなど、いろいろ聞いたのかも知れないが、残念ながらほとんど覚えていない。着ぐるみの中はとても暑い、という話と、ウルトラマンのカラータイマーのスイッチは耳についている、というのを教えてもらったくらい。あと、遠矢氏は、「スペクトルマン」(「宇宙猿人ゴリ」→「宇宙猿人ゴリ対スペクトルマン」→「スペクトルマン」と2回もタイトル変更)のゴリ役もやっていると聞き、「違う会社の作品に出ていていいの?」と余計な心配をしてしまった覚えがある。子供ながらに、東映製作の作品にウルトラマンは絶対出てこない、とか、そういう大人社会の境界線、みたいなものはわかっていたのだ。
そのあとは、マットアローの撮影用の実物などを見せてもらったが、残念ながらそれまでの怪獣の着ぐるみなどにはお目にかかれなかった。全国で怪獣アトラクションが行われていた時代だから、出番の終わった怪獣は地方巡業(?)に出かけていたのだろうか。


  


ここからは余談だが、「帰ってきたウルトラマン」が終了して2年後の74年4月、菊池氏は芸名を「きくち」と改め、「電人ザボーガー」中野刑事役でレギュラー出演、「帰マン」の隊長だった根上淳氏と共演を果たす。この時きくち氏は「菊池」名義で技闘(アクション監督)も担当、また後輩の遠矢氏も1クールではアパッチドリル、4クール目の「恐竜軍団シリーズ」では敵側幹部の悪魔ハットとして登場し、きくち氏と再び対決することになる。そのころも何度かわが家に遊びに来ていたきくち氏は、「ザボーガー」のシナリオを見せてくれ、「ここのシーンは本当はもうちょっと長くてねえ…」などと懇切丁寧に説明してくれた。中野刑事役は、きくち氏のコミカルな面や優しさが前面に出た、彼の当たり役のひとつだと今でも思う(ただ、4クール目は諸般の事情で、関東地方では日曜の朝という不利な時間帯の放送となったことが残念である)。
そういう意味で「ザボーガー」は、私の中では「帰マン」に連なる作品として、印象深く認識されているのである(脚本も最初の方は上原正三氏が書いているし…)。

1970年代のあのころ、ウルトラマンと仮面ライダーは全国の男の子にとってのまさに両雄であり、その両方の撮影スタジオを見学できたのはかなりの幸運だったと思う。「カナカナ」のカメラマンをやった宮野宏樹は、この一連の写真を見て、「大嶋さん、自分がどんなに幸せな子供時代を過ごしたかわかってる??」と、すごい剣幕で私に詰め寄った。そのくらい、羨ましがられることなのかも知れない。
実際、撮影の裏側を見ることで映像製作への興味が芽生えたのは事実で、おそらくこういう経験がなければ、8ミリカメラを小学校の時から回すなんていうことはなかったと思う。それが今につながっていることを考えると、少年期の体験というのはバカにできないなあ、としみじみ思うのである。

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