公開直前インタビュー
ここに記載するのは、公開当時「シナリオ」誌に掲載されたインタビューです。
そのころ受けた取材の中では、一番自分の作家としての方向性が語られているように思うので、
あらためてほぼ全文を掲載します。



海外の映画祭で好評の「カナカナ」の作家 大嶋 拓

このところ海外の映画祭で日本のインディペンデント系の映画が高い評価を受けている。その中の1本が、大嶋拓脚本・監督の「カナカナ」。モントリオール世界映画祭(94年)をはじめ、ベルリン国際映画祭(95年)シドニー映画祭(95年)などに招待され、大きな反響を呼んだ。大嶋氏にとって、「カナカナ」は、初めての劇場用長編映画。これまでずっと8ミリ映画を撮りつづけ、一方で脚本家としても活躍。そして30歳になったのを期に、すべて自己資金でこの劇場用映画に挑んだという。物語は、同棲相手と別れ、翻訳の仕事をしている29歳の女性が、ふとしたことから不登校の中学生の少年と出会い、奇妙な同居生活を始めるという、現代女性の不安定な生きざまを淡々と描いた作品。「カナカナ」の創作の周辺をうかがった。                                   

■アッケラカンとした現代女性の生きざまを

−初めての劇場用長編映画ということですが、作られたきっかけというのは?
「僕は当初、映画監督というより、シナリオライターをめざしてた時期がありまして、フジテレビのヤングシナリオ大賞lに応募したこともあるんです。映画はずっと8ミリを撮ってたんですけど、監督という職業になれるのかというのがピンとこなくて、ライターの方が職業として成立するんじゃないかみたいなことで、大学を出たあとは知人の監督さんの紹介でシナリオライターの仕事をしばらくやってました。
 でも、シナリオの重要性はすごく認識してるんですが、やっぱり、書くだけで、あと現場に渡しちゃって自分の仕事は終わりというのは、すごく欲求不満があるんです。僕だったらこうは撮らない、みたいな、なまじ自分でも撮ってただけに人に台本だけ書いて渡しちゃうというのが、どうにもフラストレーションがたまってきまして、じやあ自分で、もうどんなにコケてもいいから一本、自分のやりたいものを書いて、自分で撮って最後まで責任とってみようと。それで今回撮ったようなところがあります」

−30歳ぐらいの女性と少年との同居というユニークな設定ですが…
「これは、もとネタがあるんです。88年に起きた事件なんですけど、巣鴨のマンションで未婚の母みたいな女性が、子供を4人置いたまま他の男といっしょになって行方不明になったんです。上の子がお兄ちゃんで14歳、下は妹たちで乳飲み子みたいな子もいて、お兄ちゃんが、みんなの面倒を見てたんです。その兄妹は、母親が出生届を出していなかったので戸籍上はユーレイで、当然、学校にも行ってなかった。母親からはお金も送ってこないし、兄の方はコンビニで万引きしたりして妹たちを養ってたんですけど、最後には疲れちゃって、よくその部屋に出入りしていた兄の友人たちが妹を折檻して殺してしまうという、すごくショッキングな事件で、当時はずいぶん騒がれたんです。
 それをうまくアレンジして、現代阪「母のない子と子のない母と」みたいなのを作れないか、とか考えてみたんです。当時、僕は24、5歳で大学を出たばっかりの頃で、これは自分で作るテーマとしては荷が重いなと思いながらも、ずっとその事件のことが頭にありまして、で、何度かプロットを書いたりしてたんですね。
 それで4年ぐらいたって、92年から、脚本を本格的に書き始めたんです。
 第二稿ぐらいまでは、事件そのままのかなり陰惨なドラマになってました。 少年は親から捨てられた、崩壊した家族の犠牲者。主役の女性は、いわゆる適齢期で、自分が新しく家族を作っていかなくちゃいけない立場なんだけど、それができてない。で、今の家族の中では、はみ出している。そのはみ出し者同志が出会う。それは最初からあったんですけど、現実の事件を引きづっていたせいか血なまぐさい場面が多くて、ちょっとこれを今やっても観客から拒絶されるのではないかというのがあった…。で、もっと身近なテーマを扱いながら同じような結果を出せるんじゃないか。要するに家族というものの絆がすごく希薄になっていて、主役の女性も少年も自分の居場所がない。そういう家族難民みたいな人たちって、今すごく多いと思うんです。
 僕らは、これからどうやってその家族に替わる新しい絆を見つけていけばいいのか。それを問いかけるのが狙いでしたから、何も陰惨なことばかり描かなくてもということで、三稿目ぐらいからガラッと変わりました。それに主役を演じた県多乃梨子さんが、わりとアッケラカンとした女性でしたので、彼女のキャラクターに引っ張られて、だいぶ雰囲気が変わってきたというところがあります。


 「カナカナ」撮影中のひとコマ


−国内で公開する前に、海外の映画祭に出されたのは…
「それは最初からの作戦として、海外の映画祭に出して、ま、箔をつけるまではいかなくても、ある程度海外の評価が得られた上で日本にもどして公開しようというのはあったんです。今、インディペンデントの映画ってほとんどそのやり方をするようになってますよね。いきなり国内だと、なんとなく公開してスーッと知られずに終わっちゃう場合が多い んです。外国で評価されてっていうと、少しは注意を向けてもらえますから。日本の興行でもそれがハズミになって動員に拍車がかかるといいなって思いますけどね」

−監督自身も招待されて、映画祭に出席されてますが、向こうのお客さんと直に接して、いかがでしたか?
 「そうですね、けっこう反響がありまして、今の日本の女性っていうのは、ああいう娘が一般的なのか、それともあれが今の女性たちが理想とする一つの生き方なのか。なんていう、わりと社会派的な質問が多かったですね。あと、ああいう年端もいかない少年と肉体関係を持つということに対する日本の社会でのタプーはないのかとか。思いのほか真剣に見てくださってる観客の方が多くて、ずいぶん刺激になりましたね」

−こちらでは、これから公開されるわけですが、試写会とかの反応は…
「今のところ、女性たちの反応は悪くないです。男性は、けっこう評価がわかれるみたいで、あまりにも男を情けなく描きすぎてるんじゃないかとか(笑)。少年にしても、彼女の別れた恋人にしてもね。それについては僕は、う−ん、でも現代はそうじゃないですかねって言いたい部分もあるんですけど」

■「等身大映画」にこだわってきた

−経歴によりますと、小学三年生の時から8ミリを回してたということですが…
 「そうなんです。僕は、『仮面ライダー』の世代なんですけど、そのスタジオが東映生田スタジオで、そこが僕の住んでた家の近くにあったんです。人気番組ですからね、どうしてもスタジオを見に行きたくなって、それで父がたまたまテレビのほうの仕事もしてたもんですから(父親は劇作家・故青江舜二郎)、そのツテをたどってスタジオ見学をさせてもらったんです。それで何度か見学してるうちに楽屋裏のことが少し分かってきて、自分たちでもやってみたくなったんですね。それで8ミリカメラを父親から買ってもらって、マネごとをやりはじめたのが最初なんです。ですから、なんか名作映画を見て映画に目覚めたんじゃなくて、僕はテレビの影響で自分で8ミリを回しはじめたということなんです」

−ぴあフィルムフェスティバルの常連だったそうですけど、いつ頃から応募されてたんですか?
「いちばん最初に応募したのは、PFFが始まったばかりの77年ですね、中学二年の時です。これは僕は監督はしてないんですけど、原作・脚本・出演したという作品で、撮ったのが近所の大学生だった以外は、音楽も何も全員中学生だったんです。『ひとかけらの青春』なんていう恥ずかしいタイトルの学園ドラマで、それがいきなり入選したんです。 それで気をよくしちゃって、その後、高校、大学とずっと応募し続けるんですけど、なかなか入選できなくなっちゃって(笑)。森田芳光とか長崎俊一とか、商業映画を撮れる監督が何人も出て、どんどんPFFのレベルが上がっちゃったもんだから。それで社会人になって、ようやく10年ぶりで入選できたんですけど、最後の方はもう意地でやってましたね(笑)」

−作品としては、どういった傾向のものが多かったんてすか?
「僕の場合は、普通のドラマが多かったですね。シナリオライターをめざしてたってこともありますから、ちゃんと最初に全部台本を作って…、ですから、いわゆる実験映画作家とかではぜんぜんなかったですね。内容的には、大きな事件も起こらず、拳銃も出て来なければ、人も死なず。だから日常映画ですね、今度の『カナカナ』もそうですけど。学生の時は、学生の生活を描いたりという、等身大映画といいますか。だから理想としては、自分がいまどこに居るのか、人生のどの位置に自分がいるのかっていうのを常に作品で明らかにしていきたいというところがあるんです。ですから、『カナカナ』でも、主人公の女性の年齢を29というふうに設定したのも、僕自身が30を迎えるということで、一つの人生のターニングポイントが来るんだなあと、それを自分で自覚しながら作品を撮りたいという気持ちがあったんです」


 公開初日の舞台あいさつ(1995,10,28)


−「カナカナ」では、ほとんど音楽が使われてませんね。あれは以前からの手法ですか?
「以前は、けっこう音楽をたくさん使ってたんです。ただ音楽というのは、人の気持ちをひっばっていく力をすごく持ってると思うんです。ちょっと落ち込んでいても楽しい音楽を聞くとウキウキしてきたりするし、目で見る情報よりも耳で聞く情報のほうが人間の情緒を左右する力が強いんじゃないかと思うんですね。ですから、あんまり安易に音楽を入れてしまうと、自分の演出のいたらない部分を音楽でごまかしてしまうことになるんじゃないか。悲しい場面の演出がうまくいってなくても、悲しい音楽を流せば、とりあえず悲しい場面に見えてくる。で、知らぬ間にそういうことをやってる自分に気がつきまして、そういうことをするのは音楽にも失礼だし、映画にも失礼だと思って…。もっと音楽を自分で料理できるぐらいになったら、音楽を使いたいと思いますね。
 あと、リアリズムということでいえば、日常生活の中で、悲しい時に都合よく悲しい音楽が突然流れてきたりはしないというのがありまして…。われわれテレビ慣れしすぎちゃって、すごく画面の中にいろんな情報を求めすぎてるんじゃないかと思うんです。で、どんどん引き算することによって、逆に本質が見えてくるんじゃないかっていう気がしますね。「カナカナ」では、それでも音楽がないとさびしいという人のために、いちおう彼女がコンサートでコーラスを歌うという設定にして、彼女の歌をBGM代わりに使うっていう配慮はしてるんです」

−日本で好きな映画作家というのは?
「今、あまりにも皆んな小津、小津っていうんで言いたくないんですけれども、やっばり日本で一人っていわれると小津安二郎になってしまいますね。いま小津っぽい映画はありますけど、正当な後継者はいないですよね。そういう意味で、目標としたいですね。ああいうふうに、ひたすら山の手の日常を撮りつづけた作家、ああいうふうに自分の視点を持ちつづけられる作家。しかもコンスタントにレベルの高いものを作れる。芸術家としても職人としても非常に尊敬に値する人ではないかと思います」

−最後に、今後、商業映画からの誘いがあるかもしれませんけど、ご自身ではどうですか?将来の方向としては…
「もちろん、趣味とかお遊びとかでやってるつもりはありませんので、自分の生き方として、この道を選択したわけですから。だから当然、商業映画の話がきた場合でも、自分の作品になるであろうという見込みがたてば、要するに自分が撮ることに意味があると感じられた作品であれば、どういうものでも取り組んでいきたいと思ってます。自主映画という括りで、ずっとやっていこうという気持ちはぜんぜんありません。ですから、そのためにも今回どういうふうな結果がでるか、非常に興味深いです」

映画「カナカナ」は、10月28日より中野武蔵野ホールにて公開−。

(「月刊シナリオ」1995年11月号より。一部改訂の上転載)

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