07 夏がくれば思い出す…(7月)


もう8月だというのに、どうもすっきり梅雨明けしませんねえ。「カナカナ」を撮った10年前の夏もこんな感じで、あの年は日照不足のせいで秋にお米が採れず、あのタイ米が大量に日本に入りこんできたのでした。今年もまたあんなことにならなきゃいいのですが。
さて、先月CSのドラマを撮ってたのはお伝えした通りですが、完成してからひと月近くが過ぎるというのに、まったく元気が出ません。毎日毎日深海魚のように、家の床にべたあっと這いつくばって生活しています。気候のせいもあるんでしょうが、だいたい作品ひとつ出来上がるとこんな感じになります。余韻を引きやすいタイプなんでしょうね。次の作品に取りかかるまでは、前の作品を引きずってしまうのです。ちょっと恋愛と似てるのかも知れません(ホントか?)。

突然ですが、「死」について考えることって、ありますか? 私はわりと夏になると考えます。小学生くらいから何故かそうでして、やっぱり納涼お化け大会とか心霊写真特集とか、あとは盆帰りや終戦記念日なんかの影響なんでしょうか。小さいころは、「あと百年もすれば、自分も、自分の周囲の人も、全員この世にいないんだ」なんて考えるのがものすごく怖かったですね。最近はだいぶ感性が麻痺したのか、そのへんのことには無頓着になってきましたが、大人になっても、そういうことを考え始めると夜も眠れなくなる、という人は結構いるみたいですね。
実は私の父も、「死」というものが本当に怖い人でした。それには背景があって、父がまだ10歳くらいの時に、大酒飲みだった父の父(私の祖父に当たる人)が、家族揃っての夕食時に酒を飲んでいて、突然脳溢血で倒れてそのまま死んでしまったそうです。ついさっきまで大声で話しながら酒をあおっていた人間がその場で動かなくなり、呼吸も止まり、冷たくなってしまう。そういうものすごい現実を目のあたりにして、「死」というものが恐ろしくてたまらなくなったそうです。その当時にはなかった言葉ですが、これこそまさに「トラウマ」というにふさわしい体験ですよね。そういうわけで、死がただただ恐ろしく、そういう恐怖心から逃れるために大学では仏教を学んだり、必死で文筆活動をしていたらしいです。60歳を過ぎてから書いた文章にも「自分はもう老境に達したというのに、今もって死の恐怖を克服できない」という記述があります。そういう恐怖心を常に持ち続けてきたからなのか、脳梗塞で倒れてからの父は少し「雲の上の人」になってしまい、病後の自分が置かれた状況も、あまりはっきりと認識できなくなっていたようです。最後に亡くなる時も、2週間以上昏睡が続き、そのまま目覚めることなく旅立ちました。やっぱり、死ぬのが怖かった人だから、自らの臨終を直視することなく逝ったんだなあ、と、父の亡くなり方には妙に納得しています。
一方私の母は、今70代ですがきわめて健康体で、しかも若いころから今に至るまで、死を怖いと感じたことは一度もないといいます。強がっているわけでもないようで、生まれたら、やがて老いて、時が来れば死ぬ、という大自然のリズムに非常に忠実に生きているように見えます。父はそんな母がとても羨ましかったそうですが、いくら宗教や哲学を修めても、怖いと感じるものを怖くなくすることはできなかったようです。
そういう、対照的な死生感を持つ父と母の血を継いだ私はどうかと言えば、先ほども書いたように、少年期はきわめて怖いと思っていたのですが、最近は割とどうでもいいというか、まあ死ぬ時が来たら死ぬのも仕方ないって感じでしょうか(痛いのと苦しいのは嫌ですが)。あまり生きることへの積極的な執着心もないので。だって、生きてたって楽しいことよりも、辛いことや、やり切れないことの方が遥かに多いじゃないですか(これは別に政治とか社会がどうこうではなくて、人間の原罪のようなものだと私は勝手に思ってます)。そういう意味で「死」は確実にすべての状況をご破算にしてくれるわけですから、それほど忌むべきものという認識はないのです。でもまあ、とりあえずは生きているというこの現実を踏まえて、今できることをそれなりにやっているという状況です(テンション低い!)。ただ、父が長く病床にいたのを見ているので、「ああいうのは本人も周りも辛いなあ、やっぱり最後まで健康でいたいなあ」とは思っています。

というわけで、今回の備忘録は、いつもよりパワーダウンしているためか、こういうウエットなお話になってしまいました(出川さんのご命日もありましたし…)。読んでしおれてしまった方、ごめんなさい。来月はもう少し元気になります。それでは、よい夏休みを!
(2003/07/31)
 
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