その死 賽の河原で霊が呼ぶ!この世の果て恐山潜入、
       そして
イタコの口寄せが…(青森・むつ)



            


八戸から北を目指して、ついに来ました下北半島。今回の旅のハイライトというべき恐山です。初めてこの場所のことを知ったのは、多分「ゲゲゲの鬼太郎」で、敵の罠にかかって溶かされた鬼太郎の体を、目玉親父が、恐山まで持って行って蘇生させる、という話だったと思います。その時は、架空の地名だと思ったのですが、あとになって、実在する場所と知り、しかもイタコという霊能者が死者を呼び出してくれるというのも聞き、いつかは訪ねてみたい場所として心の隅に引っかかっていたのでした。高野山、比叡山と並ぶ日本三大霊場のひとつと言われ、この世よりもあの世に近い場所として、常におどろおどろしいイメージがつきまとう恐山。しかし実際にご当地に向かってみると、JRの下北駅から普通に路線バスが出ていたりして、ちょっと拍子抜けです。でも、その路線バスのアナウンスで、「♪ひとつ積んでは母のため…」なんていう歌が流れているのは結構強烈なものがありましたが。

7月の下旬には全国からイタコが集まる「大祭」というのがあり、私が行ったのはその少し前だったせいか、観光客も少なく、全体に閑散としていました。まあ、その方がいかにも死者の国っぽい雰囲気に浸れますから都合がよかったのですが。何はともあれ、ここは言葉よりはるかに雄弁に現場をお伝えできるであろうスチールの数々をご覧下さい。





溶けた岩肌が延々と続く。荒涼たる光景 おお、出ました地獄巡り。こういう立て札は観光用?


地蔵と風車はもはやご当地の定番アイテム 敷地内を丁寧に散策すると1時間以上かかる。見所も多し


それらしい白装束集団。でもバッグはプラダ(笑) 恐山にはカラスがよく似合う。ウミネコではNGでしょう


かの有名な血の池地獄。思ったほど赤くなかったです 湧き出す硫黄の酸で、お賽銭もこのように変色&変質


恐山には、「賽の河原」と「極楽浜」というのが連なってあります。「河原」といえば川ですし、「浜」といえば海なのですが、実際には川でも海でもなく、その眼前に開けているのは宇曽利湖(うそりこ)という名の広大な湖でした。恐山の名前も、「うそりざん」がなまったという説が有力なようです。荒れた岩肌や地面のあちこちから湧き出る硫黄の匂いはいかにも地獄を連想させますが、ひとたび湖に眼を移せば、水面は神秘的な緑色に輝き、どことなく極楽浄土を思わせるから、地獄と極楽が同時にある場所と言われるもの納得です。まあどっちにしろ、あの世なんですよね。


 


 


 


まったくわからない順路。迷いまくりです え?なぜ墓石の回りにこんなものが?


と思ったら地蔵の人形でした。でも、この形って… 人けのない宇曽利湖畔。まさにあの世との接岸地


こういう場所は、不思議と落ち着くので、時間を忘れていつまでも湖畔に佇んでいたかったのですが、そうも行きません。ここに来たもうひとつの目的、すなわちイタコに会って、本当に死者を呼び出してもらえるのかこの眼で確かめること。これを夕方のバスが来るまでにすませなければならないのです。さて、では死者に会う前に身を清めよう、というわけで、恐山内に設けられた温泉でひと風呂浴びました。寺の境内に温泉ていうのもかなり意表をついています。しかも混浴(入ってたのは男だけでしたが)。まあ、恐山全体が休火山で、あれだけ硫黄が吹き出している土地なわけだから、温泉を掘らない手はありませんよね。


時代劇に出てくる掘っ立て小屋のような温泉場 混浴の文字が踊るが…、閑散としていました


総木造りの湯船! かなりポイント高いです こんこんと湧き出す源泉。硫黄臭さも満点


恐山といえばイタコの口寄せが有名ですが、われわれが思うほど古い歴史があるわけではなく、実際この地にイタコが集まるようになったのは昭和30年代ころからだそうです。それ以前は、全国至るところに、口寄せで生計を立てる目の不自由な方がいらっしゃったようですが、そうなると「恐山=イタコ」というイメージは、いわゆるマスコミの手によるものなのでしょうか。そのあたりの事情に興味がおありの方は、「恐山」「イタコ」あたりで検索していただくとして、さて、寺の本堂のすぐ横の建物には、「イタコの口寄せ」という看板が出ています。先客がいたので少し外で待つことになりましたがやがてそれも終わり、私の番になりました。建物の中の畳敷きの部屋で鎮座ましますのは、推定年齢70歳前後の、M1号(@ウルトラQ)そっくりのオバちゃん。咽の調子が悪いのか盛んに咳き込み、しきりに痰をティッシュに吐き出しています(魂の降ろしすぎで疲れ果てているのか?)。以下、なるべく忠実に彼女とのやりとりを記していこうと思います(実際の彼女は東北弁で、聞き取れない箇所も多々ありましたが、雰囲気で斟酌しつつ標準語にて採録しました)。

「今日は誰を呼び出したいのか?」
「父です(祖父、祖母、父の誰にしようか、答える直前までかなり悩みましたが、やはり一番近い親族ということで父にしました。しかし、本当に父の霊が降りてきたら、リアル過ぎて怖いような気もしたのですが…)」
「お父さんの名前は?」
「文筆家だったので、ペンネームと本名とありますが」
「本名を」
「長三郎です」
「いくつで亡くなったのか?」
「今から21年前の4月に、78歳で亡くなりました」
「あなたはいくつか?」
「41歳です」
「ほかに兄弟はいるのか?」
「ひとりっ子です」
「結婚はしているか?」
「あいにく独身です」
「お母さんは元気なのか?」
「元気でいます」
これだけのやりとりがあった後、おもむろに持っていた数珠をなむなむ…とこすり合わせたと思うと、「ウ!」とか「ゲホ!」とか、ドラマで見るような劇的な変化は何ひとつないまま、いきなり霊が降りてきたらしく、おごそかな調子で話し始めました。
「…今日は遠路はるばるよく来てくれた。こっちは元気でやっているから心配するな。遠く離れたところ(極楽?)にいても、いつでもお前たちのことは気にかけているから。お前もずいぶん立派になって結構だが、まだ嫁が来ないのは少し心配だ。そろそろ結婚して一人前になって、お母さんを安心させてやるがいい。お母さんも今は元気なようだが、やはり年齢は年齢だから気にかけて、いたわってやるがいい。今年の秋くらいに、何かいいことがある。来年の春に、少しよくないことがある。心するように。何はともあれ、遠いところよく来てくれた。久しぶりに話が出来てとても嬉しかったぞ。では達者でな…」
そう言って、霊は帰っていってしまいました。全体所要時間約10分。どう思います?


  口寄せはこの中で行なわれた


意外だったのは、話が完全に一方通行で、会話(受け答え)が一切出来ないことです。ひたすら向こうの垂れ流す言葉をありがたく拝聴するだけ。イタコって全部このパターンなんでしょうか。いつごろのドラマかドキュメンタリーか忘れましたが、霊とその親族が、親しげに会話を交わして、感極まって涙を流すシーンとか、見た記憶があるんですけどねえ。
少なくとも、今回、実際に父の霊が降りてきたという感覚は、爪の先ほども感じることはできませんでした。父は結婚の遅れをとがめたりするような世間的な価値観は持っていませんでしたし、母のことを「かあさん」という呼称で呼んだことはただの一度もありませんでした。話を冷静に聞けばすぐわかる通り、こちらから聞き出した情報に則って言葉をつないでいるだけです。秋とか春にどうとかいうのは占いと同じで、当たっても当たらなくても誰も文句が言えない話で、単なる時間かせぎとしか思えません。これは、インチキと断言していいんじゃないでしょうか。世間の人はこんなインチキにやすやすと騙されて、「ああ、懐かしい父、母に会えた」と感涙にむせぶのでしょうか。だとすれば、人の弱みに付け込んだ、とんだ悪質商法です。
しかし、人によっては、霊と話しをしている時に、故人と親族しか知らないはずの秘密の話なんかが出て、「ああ、これはまぎれもなく父だ!」などと信じられるケースもあるらしいんですよねえ。まあ、物事というのはすべて100パーセントというのはありえないので、実際に霊が降りてくる場合もあるし、降りてこない場合もある。降りてこない場合は、「呼び出したけどおいでになれません」とも言えないので、事前に聞いておいた個人データをもとに、当たり障りのない話をしてお茶を濁すってことなんでしょうか。

うーん。1度だけでは、よくわかりません。かといって、2度3度とトライしてみたいものでもありません。でも、こういったビジネスも、先ほどはインチキ、悪質商法などと書きましたが、ある種のエンターテインメントビジネス、すなわち夢を売る仕事と考えた方がいいのも知れません。世間では「癒し」を求めてなのか何なのか、「泣けるもの」に金を払うという風潮が最近特に顕著です。「世界の中心で〜」なんかがバカ売れして映画もドラマも大ヒットする時代です。「愛する人を失う悲しみ」を、金を出してでも追体験したいというのはいささか首を傾げたくなる社会現象ですが、それだけ、愛する人を亡くす悲しみというのは深く大きな感情だし、したがって、そんな大事な人と再会できたとしたら、その感激もまたひとしおということなのでしょう。イタコは、そういった人間の心に開いた空洞をひとときでも埋めてくれる癒やし手であり、ある種のカウンセラーなのかも知れません。イタコを訪ねる人にとっては、亡くなったあの人に再び会えた、と感じられることが、ひとときの幸福であり救済なのでしょう。極論すれば、そういう気分にきっちり浸らせてくれさえすれば、本物かニセモノかは実は大した問題ではないことになります。こう考えてくると、大○教授のようにすべて科学的に観察して、本当に霊が降りてきているのかどうかを検証する、なんていうのがそもそも考え違いということなのでしょう。でも、それならそれで、もうちょっと上手に騙してよね、っていう気もしましたが。

イタコはさておき、宇曽利湖畔に広がる恐山一帯のながめは、荒れた岩山、点在するお堂、無数の石仏、吹き出す硫黄、群れ飛ぶカラス、…とまさに怪奇趣味満載、おそらく他ではお目にかかれぬ情景であり、一見の価値はあると思います。ちなみに、私が入浴した境内の温泉(花染の湯)はかなり強烈な硫黄泉であり、その時着ていたTシャツは、それから2回洗濯しても、いまだに硫黄臭さが抜けません。あまりいい服は着ていかない方が賢明でしょう。
(2004/07/12)


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行き方:JR下北駅から下北交通バスで40分、終点恐山下車


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