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赤い実に集うものたち


今住んでいるところは住宅地ではあるが、小高い丘の中腹なので野鳥をよく見かける。特に今の季節は、庭に生えているピラカンサの、食べごろになった赤い実を食べに、思った以上に多くの鳥が訪れてくるのである。
「さっき見たのとは違う鳥が来ている。一体何種類くらいの野鳥が、この辺には生息しているんだろう?」
という素朴な興味で、にわかバードウオッチングを始めてみた。ピラサンカはちょうど私の部屋のバスルームの真ん前に生えているので、窓を少しだけ開け、そこからカメラのズームレンズをつき出して、彼らの姿をとらえてみたのが、以下の写真である。


 ヒヨドリ ヒヨドリ

 メジロ メジロ

 カワラヒワ カワラヒワ

 ツグミ ツグミ

 ツグミ ツグミのペア


こう並べると何ていうこともないが、これだけ撮るのにも、実はかなり時間がかかっている。何しろ小動物である彼らはたいそう敏感で、少しの物音や気配にも身の危険を察知して、素早く飛び去ってしまうのだ。だから、たった一度のシャッターを押した瞬間が別れの時、ということもままあった。その姿をじわっとながめていたいなら、写真はご法度である。「今」をながめることに満足するか、写真画像という「永遠」を手元に残すことを優先するか。これまでの私なら、ひたすら「永遠」を選んだはずだが、今回は、ある程度写真がキープできてからは、ただぼおっと、無心に実をついばむ彼らの姿に見入ることが多くなっていった。彼らの形の美しさ、色の鮮やかさ、その動きは機能的で無駄がなく、さえずる声はけなげで、その翼を拡げれば一瞬ではるか先の木の枝に飛び移っている。何というしなやかな体を持っていることだろう。私を取り巻くこのごろの世間の情勢は、どうにもままならないことが多すぎるので、邪(よこしま)な感情も、社会のしがらみもない彼らの自由さが実にまぶしく、いつか彼らは、私の何よりの心の友となったのである。

我ときて 遊べや家の ない野鳥 (一茶もどき)

しかし、そう言っているうちに、ピラカンサの実は無惨に食べ尽くされ、今や彼らは、バスルームの前に姿を見せることもなくなってしまった。「何だ、あいつらも人間なみに現金だなあ」と思ったが、彼らとて生きていかなくてはならない。食糧が尽きれば、次のえさ場に移動していくのは当然だ。勝手に心の友だなどと感情移入していたおのれの甘さに、今さらながら苦笑いがこみあげるのであった。

※何かご隠居さんの文章みたいになってしまいました。これだけ読むと、とても「凍える鏡」の公開中とは思えませんが、きっちり公開してます。2月いっぱいやっていると思いますので、どうぞおでかけ下さい。
(2007/01/31)

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