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写真つき年賀状に思うこと


ああ、今年もあと5時間ちょっとで終わりだ。今日はほぼ1日、「凍える鏡」製作日記に時間を取られてしまい、こっちのコラムを書く前に日が落ちてしまった。本当は、2007年大みそかの日没をながめつつ、物思いにふけりたかったのに…。と言いつつ、今回は、昨日まで悪戦苦闘していた年賀状の話を少々。

来年の年賀状は、映画の公開直前ということもあり、「凍える鏡」のポストカードに年賀切手を貼って、ひとことふたこと書き添える、という形にしたが、その前の数年は、自分が旅先などで見つけた、干支にちなんだ珍しい物の写真を年賀はがきにプリントして、オリジナルデザインのものを作成していた(戌年なら遠野のカッパ狛犬、申年なら奈良の猿石、といった具合)。しかし、こういう風な写真を年賀状に用いるのはあまり一般的ではないようで、多くは、写真といえばファミリー写真、または生まれた子どもの写真ということになるのではないか。

自分は以前、かなり長期間写真店でバイトをしていたことがあるので、家族全員が写ったファミリー写真、そして子どもだけがでかく写った写真のポストカードの受付もずいぶんやった。「こんな子どもの写真、可愛いと思うのは親だけで、他人様には迷惑じゃないのか?」などと思いつつ、注文を受けていたことを思い出す。あのころも、そして今でも、ファミリー&子ども写真の年賀状というのは賛否両論が渦を巻いているようだ。この間、たまたまYahooの智恵袋で、このことが取り上げられていたのを読んだ。「子どもが写っている写真年賀状を毎年送ってくるのってどう思いますか?」という質問に対する答えがダーッと載っていて、「あれは親の自己満足、子どものいない夫婦や単身者に対して無神経」というもっともな意見があれば、「生き物の成長記録として見る分には面白い」「目くじらを立てるほどのものだろうか」という容認派もおり、一方「ああいう年賀状に写っている子どもは客観的に見て大して可愛くない」「会社の上司にあれを出しているとしたら常識を疑われる」、なかには「他人の子の写真など見るのも不愉快、すぐに破り捨てる」などという過激なものまであって、まさに意見百出。私のところにも、毎年必ずある程度の数、ファミリー写真や子どもだけの写真の年賀状が届くので(多分明日も届くぞ)、自分なりの意見を書くと、まず、一度も会ったことのない娘や息子の写真だけを、毎年毎年ハンで押したように送ってくる方がたには、正直少しウンザリであるが、逆に、子どもがまだ小さいころから、一貫して家族全員の写真を撮り続け、子どもが三人に増え、一番上はそろそろ大学生、というのに、いまだに家族6人で写真に収まり続ける某先輩の年賀状なんかを見ると、いつまでこれが続けられるのか、見届けてみたい、という気になってくる。「よく大学生の息子は一緒に撮るのを嫌がらないなあ、よっぽど家族円満なのか、それとも本当は嫌なのに親父のため無理に笑顔で写っているのか」などとその舞台裏を想像してしまうのもちょっと楽しい。要するに、それを送ってくる人との関係性の問題が大きいような気がするのだ。ファミリー写真、子ども写真の強硬な否定派は、「年賀状というのは『贈り物』なので、相手が喜ぶものを送るべきだ」と書き込んでいたが、実は私は一番これが引っかかった。年賀状というのは年頭のあいさつ状、もしくは近況報告であって、別に贈り物ではない。「年賀状は贈り物だと思う」なんていう文言は、日本郵政という民間企業が、年賀状という商品の販売促進のためにひねり出したキャッチコピーで、別に社会通念でも何でもないのだ。だいたい、送られた相手が心から喜ぶ年賀状、なんてものが果たしてこの世にあるのだろうか(最初から一等の当たりくじでもついていれば別だが)。年の初めくらいもう少し大らかに、送ってきた相手の「気持ち」をながめてみてもいいように思うのだが…。ではどなた様も、どうぞよいお年をお迎え下さい。

※余談だが「官製はがき」と言うのはもはや過去の言葉らしい。郵便局が民営化して日本郵政株式会社に変わったので、今では「会社製はがき」「会社製年賀はがき」と言うそうだ。どうにもなじめない言葉である。窓口でその言葉を聞いた客が、意味がわからず窓口の人間に聞き返していたのを何度か見かけた。
(2007/12/31)

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