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祖父の願い、父の夢


前回に続いて、今回も時事ネタを。
「戦後生まれ初の首相」として華々しく登場した安倍総理が、在任1年でその職を辞した。臨時国会が始まり、所信表明演説を行った直後での辞任ということで、「前代未聞の無責任」「総理の資質に問題あり」などと激しい批判を浴びたのはご存知のとおりである。そのことはもうさんざん、マスコミやネットなどで取り沙汰されているから、何を今さらという感じもするが、ここでは、政治家うんぬんというより、一個人としての彼の心象風景に絞って、少々想像力を働かせてみたい。

今回、あそこまでやつれ果てて表舞台を去っていくお坊ちゃん総理のことがどうにも気にかかり、彼が一年前に出した「美しい国へ」(文春新書)という本をアマゾンで購入して読んでみた(ユーズドで1円であった。でも送料が340円取られるので計341円)。読みやすい文章のせいか、あるいは内容がスカスカだからか、とにかくあっという間に読了。読み終わって感じたのは、本人は保守と言っているが、ごくごく常識的でまっとうなことを書いているということ。独裁色が強かった前任総理と比べると、やはり育ちがいい分、物言いもソフトになるのだろう。そのぶん記憶にとどまる部分が少なく、具体性やインパクトに欠けるように思えたが、自分の生い立ちを語る第1章は、彼がたいそう祖父の岸信介や父の安倍晋太郎を敬愛し、誇りにも思っていたことが素直に伝わってきて好印象であった。



しかし、その「祖父や父への思いの深さ」にこそ彼の悲劇があったのではないか。世に言う二代目、三代目の受難である。幼いころから政治家の家に育ち、一国の舵取りに奔走する祖父や父の姿を見ていれば、「自分もこの世界で生きるべく生まれたのだ」という刷り込みが自然となされてしまうのは当然だ。だから彼も、大学卒業後入社した神戸製鋼を三年ほどで退社し、父・晋太郎の秘書官となり、政治の道に入っていく。その後、晋太郎は総理の最有力候補と目されていたが、やがてすい臓ガンに冒される。1990年、晋太郎はソ連(当時)を訪問し、両国の友好関係を築くため、ゴルバチョフ書記長(当時)に来日を要請する。しかし来日が実現した翌91年には、ガンもかなり進行し、晋太郎はガリガリにやせていたが、それでも、招待した本人が出迎えないのは失礼だと、背広の下に詰め物をして、ふくよかに見えるよう装ってゴルバチョフと会見したという。そしてその一ヶ月後、晋太郎は急逝。まさに命を削った最後の外交であった。当時側近だった晋三は、その一部始終を間近かで見ていたのである。「美しい国へ」にはこのあたりのことが、抑え目の筆でありながらも、詳しく書かれてあり、わが父を誇らしく思っている晋三の愛慕の情が素直に伝わってくる。力量がありながらも病に倒れ、総理になれなかった父の悲運、それを身を持って感じただけに、「ならば、その父の代わりに自分が」という決意を新たにしたに違いない。そしてその15年後、晋三は見事その座にのぼりつめた。さぞ感無量であったことだろう。

ここまでは、まあ、美談のたぐいである。晋太郎逝去のあたりは、自分も、読んでいてちょっと目頭が熱くなった。だいたい日本人というのは、「父子」もの(そういうジャンルがあるのか知らないが)が昔から好きである。父の果たせなかった夢を息子が果たす、あるいは、父の無念を息子が復讐などの手段で晴らす、というわかりやすいパターンで、「巨人の星」を筆頭に、スポ根ドラマや特撮ものなどではおなじみのモチーフである。しかしさらに時代をさかのぼれば、シェイクスピアの「ハムレット」も殺された父の復讐を息子が遂げる話だし、その物語のルーツがどうやら「西遊記」の鳥鶏国太子の物語にあることを考えると、これは何も日本人の好みではなく、古今東西、大衆は父親の悲願を子が実現させるというテーマに深く共感してきたようだ。

問題は、安倍親子の物語が、フィクションではなく、現実の政治の中の出来事であったことである。晋三にとっては、たしかに総理になることが人生の一大目標であった。たいていのドラマは、父親の願いを、息子が代わりに実現させるところで終わる。安倍親子物語を起承転結というドラマの構成に当てはめれば、父・晋太郎の死が「起」、晋三が衆議院で初当選したものの、自民党は過半数割れ、という一連のゴタゴタが「承」、小泉政権下で幹事長をしていた2004年、参院選敗北の責任を取っての引責辞任あたりが、これからどうなる?と思わせる「転」、そして言うまでもなく総理就任が「結」。ドラマならここで幕引き、めでたしめでたしである。しかし、言うまでもなく現実はドラマと違ってどこまでも続く。特に政治は、首相になってからが本当の始まりである。そういう観点で晋三の就任後の行動を見ると、どうも、カタルシスを感じるシーンが少なかったと思えてならない。そしてこの夏の参院選大敗後の不可解な行動、あげくの果ての政権投げ出し……。これほど晩節を汚した総理も珍しいのではないかと思える情けなさである。

だがこれは、ある程度予想できたことではなかったのか。もともと彼は、生まれつきのお坊ちゃんであり、大学もエスカレーター式で受験の苦労も知らず、会社勤めもたかだか3年、あとは父のそばで、いわば守られるように仕事をしており、あまりにも社会的耐性に乏しかった。そんな人間が、「父の夢をかなえることこそが自分の生きる道である。そしてまた祖父の汚名を返上するためにも新しい保守主義を掲げよう」という大層な考えに取りつかれてしまった。就任後の彼はまるで過去の亡霊に操られるように、防衛庁を省に格上げしたり、憲法の見直しにかかったり、と、かなり強引なやり方で「美しい国」に向け舵取りを始めたが、残念ながら、そういった大事業に取り組むにはスキルも力量も不足していたし、そして一国の宰相として何より必要な「精神的なタフさ」「打たれ強さ」を備えていなかった。
「つねに闘う政治家でありたい」「たじろがず、批判を覚悟で臨む」などと勇ましい言葉が彼の本には並んでいるが、今読むと何ともむなしい。命を削ってでも外交を成し遂げた父・晋太郎と、病院での記者会見で「体力の限界を感じました」と、伏せ目がちに語る晋三とを重ね合わせると、同じ遺伝子を持ちながら、やはり彼は、繊細過ぎたとしか思えない(これは三代目だからか、それとも戦後育ちだからなのか見解のわかれるところだが、恐らくその両方であろう)。繊細といえば聞こえはいいが、要はプライドと感受性だけが肥大した大きな子どもである。参院選大敗後に辞任しなかったのは、「みんなに言われて辞めるのはプライドが許さない」からであり、国会で所信表明だけして逃げるように辞めたのは、「言うことだけは言った。でも、それに対してまた意見や質問をされるのは耐えられない」というはなはだ偏った感受性の表れだと思う。このようなヤワな精神では政治家としては絶対的に「失格」である。また、自分の体を気にすることはひと一倍だが、世間や周囲への心配りが足りないのも致命的で、それは、辞任会見の際に国民への謝罪がひとこともなかったことによく現われている(さすがにそれはまずいと思ったのか、24日の病院での会見では「国民の皆様に多大なご迷惑を…」と遅ればせながら謝意を示しているが)。晋三が掲げた「美しい国」とは、あくまで彼が美しいと思う、いや正確には祖父や父が「美しいと思ってくれるであろう国」であり、国民にとってのものではなかったのである。そんな夢想の人工庭園は、あっけなく崩壊して当然である。

こう書いてくると、さんざん安倍前総理の悪口を言っているようだが、実は辞めてしまった今となっては、私は妙に彼に同情的である。内閣の支持率が下がったのは、閣僚の相次ぐ不祥事によるところが多く、任命責任はあるとはいえ彼自身の素行に問題があったわけではない。おそらく根は大変真面目な人であろうし、そのひ弱さと運のなさが、何となく他人事とは思えず、テレビに涙目の彼が映ると、つい見入ってしまうここ数日であった。1ヵ月近くおかゆぐらいしか食べられず、衰弱も激しかったというのは本当だろう。少なくとも朝青龍の仮病とはレベルが違うのは明らかだし、「それだけ精神的に追いつめられているなら、無責任な辞め方と非難されてもいいから、とにかくゆっくり休んでもらいたい」というのが一個人としての偽らざる気持ちである。

先ほど、「父子」ものは大衆の好むところ、と書いたが、その体質もだいぶ変わってきたのかも知れない。二代目や三代目というのは、先代への敬意が精神の根底にあるためか、あまり踏み外した、恥も外聞もない行動が取れない場合が多い。しかし、すべてがワイドショー化した今のご時世では、それがお上品ぶっているように思われ、敬遠される要因にもなっているようだ。今はどうやら、氏素性(うじすじょう)よりもインパクト重視の時代らしく、たとえば小泉元総理なども政治家の息子であったが、二代目であることはほとんど前面に出さなかった。出したのは「郵政民営化のためなら殺されてもいい」という、何だかわからないけどものすごい強引な迫力である。やはりこれくらいのハッタリがかませなくては、劇場型政治では勝者になれないのだろう。政策を冷静に見る限り、小泉だって、国民の生活のことなど、ほとんどまったく考えていなかったように思うのだが。しかしとにかく、小泉はおのれの夢を語った。民営化は大蔵政務次官時代からの構想だったらしいから、まさに積年の悲願である。それに対し晋三が語ったのは父の夢、ひいては祖父の夢であった。要はその違いだろう。人は本当に熱く語られた言葉にしか反応しないものなのかも知れない。晋三は、昭和30年代の庶民の姿を描いた映画「ALWAYS 三丁目の夕日」をとても面白く観たそうだが、そんなところに、彼のノスタルジックな視線を垣間見ることができる。その眼差しは未来にではなく、父と祖父がいた「あのころ」に注がれているように思えてならない。これもまた、二代目、三代目の悲劇であろう。

私が今最も強く感じるのは、幼い時から強烈な先代、先々代の力に支配され、真に自分の人生を生きてこなかった者の挫折の痛ましさである。しかし、借り物の夢を一生見続けることはできない。軌道修正するにはちょうどいい機会だろう。安倍晋三はいま53歳だという。国会議員の立場にはこだわりがあるようだが、その繊細な神経では到底政治家は務まらない。それは周囲も自分も認めるところだろうから、少し早いがセカンドライフを模索した方がいいのではないか。とにかく胸に手を当ててよく考え、いい加減に過去の亡霊とは決別して、本当の自分の人生を生きるべきである。

やはり鳴り物入りで登場しながら、1年持たずに政権を放り出した細川護熙という総理が10年ちょっと前にいた。彼の祖父は岸信介と同じA級戦犯の近衛文麿。「やはり二代目三代目というのは理想だけで行動が伴わない」という見本のような人物だが、彼はその後政界を引退、現在は湯河原で陶芸家として人生を送っているという。これなどは、ある意味賢明な選択だと思えるのだが…。
(2007/9/30)

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