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怪獣を創った男 (9月)


夏休みといえばウルトラマン、というのが小学校時代の定番だった。7月の下旬から8月には毎年のように再放送をやっていたし、今はなき二子玉川園にウルトラ関連のイベントを見に行ったのも夏休みだ。そんな昔を思い返しつつ、岡本太郎美術館でやっている「ウルトラマン伝説展」に足を運んで来た(9月24日まで開催)。

初代ウルトラマンに焦点を絞ったこの催しは、幅広い年齢層の観客でにぎわっていて、改めてウルトラマン人気の根強さを実感した。展示そのものも予想以上の見ごたえで、アボラス、バニラ、ゴモラの頭部や科特隊の制服(いずれも実物)は、よく残ってたなあ、と感激しきりだったし、何より、成田亨(1929〜2002)直筆のウルトラマンや怪獣のデザイン画(青森県立美術館収蔵)を見ることができたのが最大の収穫だった。
誰でも知っているガラモンやカネゴン、バルタン星人、レッドキング、ゼットン、エレキングなど、魅力あふれる初期ウルトラシリーズ三部作の怪獣デザインのほとんどを手がけた偉大なデザイナーが成田亨である(厳密には「ウルトラQ」の中期に美術スタッフとして参加し、「ウルトラマン」には全面参加、そして「ウルトラセブン」の中期に降板)。「ウルトラマン」や「ウルトラセブン」に熱狂した当時の子どもたち(私もその中の一人だ)は、はっきり言って、ドラマの内容ではなく、怪獣のカッコよさに魅せられていたのだ。「マン」や「セブン」は怪獣だけでなく、内容(脚本、演出)もまた秀逸であったと知るのは、かなり大きくなってからである。すなわち、リアルタイムで子どもたちの心をとらえて離さなかったのは、ひとえにこの成田亨と、怪獣造形を担当した高山良策(1917〜1982)の生み出す怪獣たちだったのである。


これらはすべて成田デザイン。どれも素晴らしい


もともと造形作家だったという成田は、怪獣のデザインについて三つの規範を定めたという。

1)怪獣は怪獣であって妖怪(お化け)ではない。だから首が二つとか、手足が何本にもなるお化けは作らない (注:「ウルトラセブン」のパンドンには顔が二つあるが、あれをデザインしたのは成田ではなく池谷仙克)
2)地球上のある動物が、ただ巨大化したという発想はやめる (注:「ウルトラQ」製作初期の怪獣―ジュラン、ゴロー、モングラー、ナメゴン―はこのパターンだが、これらも成田デザインではない)
3)身体がこわれたようなデザインをしない。脳がはみ出たり、内臓むき出しだったり、ダラダラ血を流すことをしない (注:「ウルトラセブン」欠番作品のスペル星人はこれに該当するが、あのデザインは監督の指定によるもので、成田はまったく乗り気でなかったという)

怪獣は化け物でもなければ奇形でもない」という定義はしごく明解である。しかも、成田デザインは見事にこの規範を実践している。彼の作り出す怪獣は「異形」でありながら醜悪さはなく、どれも洗練されて美しい。まさに芸術の域である。その後どれだけおびただしい数の怪獣がこの世に生み出されても、ソフトビニール人形やフィギュアの売り上げ上位のほとんどは成田デザインのものだというのもわかる気がする。しかるに、現在これらの怪獣デザインはすべて円谷プロが著作権(いわゆるマルシー)を持っていて、いくら怪獣の人形やグッズが売れても、成田側には一円のロイヤリティも入って来ない(これが「仮面ライダー」だと事情は違って、原作者の石森章太郎がメインキャラのデザインを手がけているため、今でも石森プロには相当のロイヤリティが入っている)。

今から40年も前の1960年代当時は、著作権に対する認識も低かったから、それもやむを得ないことなのかも知れないが、後にウルトラマンのデザインに関する著作権を主張する成田と、作品そのものの著作権を主張する円谷プロが、著作権料の配分を巡って対立したようだ。そのためか、朝日ソノラマから1983年に出版された「成田亨画集 ウルトラ怪獣デザイン編」はその後絶版となり、望む声が多いのに再版されていない。円谷プロはそれ以降、故意に成田の業績を低く評価、ないしは黙殺する姿勢を取っており、ウルトラマンのデザインについても、「あれはみんなで意見を出し合って作った」などとかなり曲折した主張を一部の特撮本に記載している。一方、成田の著書「特撮と怪獣 わが造形美術」には、自分の子供が学校で「ウルトラマンを考えたのはパパだ」と言ったら、「ウルトラマンの作者がそんな貧しい暮らしをしているはずがない」と言っていじめられた、そこで、そんなこと言う奴を自宅に連れて来てデザイン画を見せてやった、というような記述があり、これなどは涙なくして読めない。今なお「ウルトラマンシリーズ」というのはしつこく作られており、そこには性懲りもなく、成田デザインの怪獣たちが大挙して出演している(去年たまたま朝テレビをつけたら、「怪獣無法地帯」のリメイクみたいな話をやっていて、いきなりレッドキングとピグモンが出ていたのでびっくりした)。しかし、スタッフクレジットに成田の名前はない。もういい加減、こういう安易なキャラクターの使いまわしはやめて欲しいと思う。それはデザイナーへの冒涜でもあるからだ(成田自身も、ウルトラマンに角をつけたり乳房をつけたりして「分身」が増えていくのを、きわめて苦々しい思いで見つめていたという)。

今回は打っていて思わず指に力がこもってしまった。いつの時代にも、才能に恵まれながら人に知られぬまま終わった表現者はいるのだろうが、成田亨の場合は、あれだけ怪獣やヒーローが広く世に認知され、巨大なマーケットを形成しながら、彼自身は作り手としての名誉や栄光を手にすることが出来なかった。その無念はいかばかりであろう。それだけに、今回の展覧会での成田のデザイン画公開は、彼の名誉回復、および再評価につながることが大いに期待され、その意味で、深く印象に残るものだった(余談ながら、高山良策の手による怪獣着ぐるみ設計図も必見!)。
(2006/09/01)

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