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荒川の「金」に思う (3月)


こういうネタはブログ向きなんだろうな〜、と思いつつ、今回はオリンピックのことなど。

トリノ五輪も閉幕し選手団も帰国、結果を見れば荒川静香の文字通りの「ひとり勝ち」で、しばらくは荒川フィーバー(死語)が続きそうだが、今回、採点には直接結びつかないイナバウワーをあえて披露し、なおかつ金メダルを取ったというのは、資本主義的発想の極致ともいうべき成果主義(結果がよけりゃあプロセスなんてどうでもいいという、まさにライブドアや耐震構造事件の根幹にある発想)に対する果敢な挑戦として、高く評価することができると思う。

何か、いきなり新聞の社説みたいな硬い文章ですみません。要するに、普通に考えてみれば、オリンピックに出た以上、メダルを取ることを最優先にするのは当然で、高得点が期待できる難易度の高い技をてんこ盛りにすることを誰でも考えるところだが、荒川は、それも考慮しつつ、自分の美意識というか、芸術性を演技の中に取り入れることにもこだわり、そして結果までも、最高のものを獲得した。これはそうそうあることではない、ということを強調したいのだ。

これはもちろん、フィギアスケートに限ったことではなく、「受け(儲け)を狙ったものを作るか、自分の本当に作りたいもので勝負するか」というのはすべての「表現作品」にかかわるきわめてシビアな命題である。例えば映画にしても、大衆受けするのはわかりやすい娯楽作品(SF、アクション、サスペンス、お色気)であり、芸術性とか作家性をうんぬんしているものはミニシアターでの公開がせいぜいで、したがってヒットすることはほとんどない。特に小泉の首相就任以来、あの人の「白か黒かはっきりしなければ気がすまない」短絡的発想の故か、日本では勝ち組と負け組という両極化が加速し、映画業界においても、ミニシアター作品は10年前よりはるかに肩身が狭くなっている。拡大公開のエンタメ路線は、ヒットすれば馬鹿当たりのメガヒットになる一方、地味でターゲットのはっきりしない単館作品は徹底的に無視され、居場所さえ与えられないような雰囲気なのだ。結果として、これまではある程度作家の個性を重視した作品をサポートしてきた中小の製作会社やビデオメーカーも、(劇場)動員数や(DVDなどの)売り上げが見込めるホラーやお色気といったジャンルものに出資することが増えてきている。私のような、それこそ売りの乏しい作品しか作れない映画作家にとってはまさに死活問題なのである。

そういう、悶々とした日々の中で見ただけに、あの荒川の演技は、ある種の爽快感を与えてくれるものだった。ライバルと言われたスルツカヤやコーエンは、演技前から、それこそ一国の命運がすべてその肩にかかっているような悲愴な表情であったが、それに比べ荒川は、本来の顔の作りは鬼瓦みたいにおっかないのに(失礼)、リンクでは終始リラックスした様子で、演技の最中にも笑みがこぼれ、その動きも、失敗することなどありえないようにのびのびと、見ているこちらもリラックスできるくらい、何ものにもとらわれない自由さにあふれていた。そして、終わった瞬間の満面の笑顔。まさかの転倒をした先の2選手も、演技終了の際には笑顔を作ってみせたが、あきらかにひきつっていた。ああいうのは笑顔ではない。満足のいく演技が出来た時、無表情、クールビューティーと言われた荒川も、あそこまで豊かな表情を見せるのか。本人もインタビューで語ったとおり、あの時の荒川の頭の中には、勝ち負けやメダル、といった雑念はなかったのだろう。まさに無我の境地。ただ、「今この瞬間を楽しむ」ということ。それが「結果」として勝利をもたらしたのである。

ただ最近は、オリンピックの度にこういう論議が沸き起こるようで、96年のアトランタ五輪の際に、水泳の千葉すずが、「自分はオリンピックを楽しむ」という発言を繰り返し、結果、メダルを取れなかったことで物議をかもしたことがある。これは、それまでの、「お国のためにメダルを取る」という風潮への反発と受け取られた向きもあるようだが、これ以降、「競技を楽しむ」、という言い方はある意味で市民権を得たようにも思う。しかし、その後も、アテネ五輪でベスト16に終わった卓球の福原愛が「オリンピックを楽しみましたか?」という質問に「楽しむためにオリンピックに来たんじゃない。もっと大切なもののために来た」と答えたという逸話もあり、「楽しむ」(=自分が納得する形で行なう=作家主義的)と「メダル」(=自分が納得するしないではなく、とにかく結果を出す=資本主義的)とはなかなか両立しないと思われていたのだ。

それが、ここに来て荒川の金である。彼女は見事に、オリンピックを楽しみ、なおかつ最高の結果をも手に入れた。荒川の快挙を、単にスポーツの世界だけの前例にしておくのはもったいない。ものを作る人間もこれを機に、おのれの作家性なるものを封じ込めることなく、なおかつ作るというプロセスを大いに楽しみ、しかもそれが多くの観客の心に届く可能性を信じるべきだと考えた次第である。

追記 ミキティはやっぱりああいう結果でしたねえ。渡部絵美が「安藤美姫はメダルを取れないだろう。体がしぼれていないから、あれで4回転飛ぶのは無理」と、自分の体型を棚にあげて予想していたが見事に的中。やっぱ移り気な18歳だもんね〜。他にも興味あることいろいろあるみたいだし。
(2006/03/01)

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