12 2003年、風邪と共に去りぬ(12月)


 
北陸はもうすっかり冬…(といいつつ去年の写真です、すみません)



早いもので年の暮れです。1年なんてあっという間ですよね。…と、書きつつ悩むのは、このコラムが「月末備忘録」というタイトルであることです。その名の通り、毎回月の終わりに書くという作業をほぼ一年やってきたのですが、アップするのは翌月の1日、つまり、読む人には前の月のことなんですよね(当たり前だけど)。これが年の暮れともなると、そのタイムラグ感がかなり強くなるのではないか、と少々心配になります。今これをお読みになってるあなた様は、2004年1月(以降)の世界にいるはずで、そういう、新年モードの人に、「今年も終わりですねえ」みたいなことを今さら言ってどうなるんだ、という気がしてくるわけです。
うーん。やっぱり年賀状や新年のテレビ番組みたいに、年末に作っておいても、新年のふりをした方がいいんでしょうか。そしてこれを機に「月末備忘録」は「月頭所感」にでも改めた方がいいのでしょうか。考えさせられるところです。

という前フリはさておき、とにかく今日は掛け値なしの12月の31日、あと24時間足らずで2003年も終わりです。今年1年を振り返って総括するのは今しかないのですが、クリスマスあたりから風邪を引いてしまい、回復しないまま今日に至っています。年末は医者も休むので早めに診察を受け、薬ももらってきたのですが、一向によくなりません。抵抗力が落ちてるせいでしょうか。微熱が取れず、頭ももうろうとして、1年の総括どころではないので、今回は代わりに、この誰にでもかかる風邪という病気の背後に潜むモノについて少し書いてみようと思います。

とにかく昔から、風邪はよく引きました。幼稚園、小学校あたりは、秋冬になるともう毎月扁桃腺を腫らして熱を出し、3、4日は床に就くのが恒例行事になっていました。何しろ1ヶ月休まずに登校したりすると親が珍しがってご褒美をくれたくらいですから。中学くらいからは、どうにか人並みに丈夫になってきたのですが、今でも風邪を引くと、まず喉が腫れて、鼻がつまるか鼻水がとまらなくなって、熱が出て、というフルコースを必ずたどり、完治までに1週間(最近は2週間以上!)を要します。風邪を引いても熱も出ず、ほっておいても2、3日で治るなんていう人が世間にはざらにいるようですが、まったくもって羨ましい限りです。

しかし、健康な人間は逆に病気の人間を羨ましく思うものなのか、吉行淳之介の「童謡」という短編では、高熱を出して入院することになった主人公の少年に対し友人が「君は、布団の国へ行くわけだな。あそこはいいぞ」と浮かれたように言うくだりがあります。たしかに、病気というのは、健康な人間には行き着けぬ全能感に溢れた世界、と言えるかも知れません。「童謡」はたしか中学の国語の教科書に出ていたのですが、それを読んだ時、熱を出して寝込むというのが、ただ辛いだけではない、ある種優越的な体験であるということも、定期的に「布団の国」の住人であった自分には素直に納得できました。

それにしても、人は何故風邪を引くのでしょうか。季節の変わり目、空気の乾燥、疲労、ウィルスなど、もちろんいろいろな要因は考えられますが、実は根本の原因はもっともっと深いところ、つまりその人間の深層意識がそれを求めているからではないでしょうか。何のために? もちろん、先ほど書いた幸福な「布団の国」の住人になるためにです。風邪を引いて熱でも出ればしめたもの、学校にも行かなくていいし、まさに上げ膳据え膳、果物が食べたい、アイスが食べたい、漫画が読みたい、あれこれ要求を出しても普段より通りやすいし、まわりも優しく接してくれるというのは誰しも記憶にあることでしょう。まさに数日間は「布団の国」の王様でいられるわけです。

でも、それは子供に限っての話でしょう、と言われそうですが、実はそうでもないのです。いま読んでいる本にゲオルク・グロデックという人の書いた「エスの本」(岸田秀・山下公子訳/誠信書房)というのがありまして、これはフロイトでおなじみのエス(本能衝動とか無意識下の欲求とかいう言葉に約される、人間の最も深い欲動)についてえんえん解説してあるのですが、これが滅法面白くて、一気に読むのがもったいないくらいの名著なのです。何しろフロイトはこの本からエス理論を借用した、といわれているくらいの「ネタ本」なので、興味のある方には是非、一読をお薦めします。で、その本によると、「人間のほとんどの行動はエスが決める、人間はエスの命じるところにしたがうしかない宿命で、当然、どんな病気にかかるかを決めるのもエスである」ということです。まあ、根拠のないこじつけや論理の飛躍も多い、ある種「トンデモ本」でもあるのですが、布団は母親の子宮の象徴である、とか、すべての病気は乳児の状態の反復である、とか、なるほど、とうなずくところもかなりあるのです(他にも、マスターベーションはセックスの代用のように言われるが、それは誤りで、マスターベーションこそ第一義的行為で、セックスは所詮相手の体を用いたマスターベーションでしかない、など、1920年ころに書かれたとは思えないくらいの先鋭的な言葉がそこここに並んでいます。こういう風に割り切れば、セックスパートナーがいない人も別に悲観する必要はないわけで、ある種の福音といえるかも知れません)。


 この人がグロテスク、ではなくグロデック。長年開業医をしていた


話がそれましたが、学校に行きたくない子供が、仮病ではなく本当にお腹が痛くなったりするのはよくある話ですし、ストレスから鬱病やガンといったもろもろの疾患が発生することも今日では広く認識されています。そういう意味ではグロデック理論はかなり先見の明があったと思うし、話をやっと戻すと、風邪を引くというのも、無力な乳児に逆戻りして、誰かに面倒を見てもらい、という無意識の願望の現われなのかも知れません。たしかに熱が出て、鼻がつまって、意識がぼおっとなってくると、小さいころ同じように熱を出して、意識が遠のいて布団の中にいた感覚を自然と思い出したりするものです。でも過去とシンクロするのもそこまでで、あのころのように親や、それに代わる誰かが甲斐甲斐しく面倒を見てくれるわけでもないし、熱と喉の痛みと鼻づまりで、ただしんどいだけなんですけどね。しかしながらエスというのは、しばしば現実の状態を無視して、ひたすら快感原則のために暴走するわがまま坊主のようなものらしいので、下僕である肉体としては、ただそれに振り回されるしかないのでしょう。

ちなみに、昔は風邪を引くと医者に行き、注射を打ってもらうというのが定番でしたが、最近の病院ではあまり注射をしませんよね。時代の変化なんでしょうか。昔の医者の注射ってのは、かなり効果があったと記憶しているのですが、あれはどういう成分だったのでしょう。今もらってきている飲み薬はどうも効きが悪くて…、いやこれは、エスが風邪を治すまいとして、薬の効力を無力化しているからかも…、などと、疑い始めるときりがありません。そんなたわごとを書いているうちに今年も終わりです。どなた様も、よいお正月を過ごされますよう。
(2003/12/31)


 
辛い風邪にはエス○ック、心の風邪には「エスの本」てことで…(ダジャレばっかや!)


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