04 2人の「長さん」の死(4月)



去る3月20日にドリフターズのリーダー・いかりや長介氏が、その1週間後の26日には「太陽にほえろ!」の「長さん」役で親しまれた俳優の下川辰平氏が、相次いで逝去した。お2人は72歳と73歳でほぼ同い年。私の親の世代である。そしてまたこの2人の「長さん」は、ともに1970年代のテレビ黄金期に、「8時だヨ!全員集合」「太陽にほえろ!」という、私などがまさに釘づけになって毎週見ていた2大人気番組のいわば「父親役」であった。「長さん」の長はグループの長、チームの長、家族の長というわけだ。
あれから時は確実に流れ、当時40代だった彼らが70代、そして、あのころは無邪気にテレビの前に座っていた10代の自分たちが、いつの間にか彼らと同じ40代、人生の中間に差し掛かっている。その事実に改めて直面し、人生の短さに愕然とさせられたのであった。


 今年1月発売になったばかりの「全員集合」DVD


ドリフの「全員集合」は、最近DVDも出て再び話題になっているが、やはりあれだけ大仕掛けなセットを組んだコントを毎週、しかも生放送で見せていたというのはものすごいパワーだと思う。今のスタジオ収録の手軽なお笑いの100倍くらいパワーを使っていたのではないか。そしてあの番組を支えていたのは、やはりグループのリーダーで父親たるいかりや氏だったと思う。彼はコント台本を構成作家任せにせず、自分でもネタ帳を持ち歩き、何かアイデアが浮かぶとすぐに書きとめるという熱心な仕事ぶりであったらしい。コント中では加藤茶や志村けんといった他のメンバーからクソミソにいたぶられる役回りだが、それをすべて仕組んでいたというわけである。自らいじめられ役を買って出てメンバーの個性を活かし切り、10数年間お茶の間に笑いをふりまいた後、90年代以降は役者に転身し、他のメンバーが今ひとつポジションを見つけられずにいる中、見事に大化けして「取調室」シリーズや「踊る大捜査線」などで俳優としても名前を残した。ひとつの立派な父の姿だったと思う。


 ありし日の野崎太郎巡査部長こと「長さん」 (C)東宝/NTV


一方、「長さん」役を10年に渡って演じた下川氏は、初期の「太陽にほえろ!」ではかなりの脇役扱いで、山さん(露口茂)やゴリさん(竜雷太)、殿下(小野寺昭)などに比べるとメインの回はかなり少なかった。妻帯者で団地住まいでコツコツ型で見た目も地味というキャラクターだったためやむを得ないのだろうが、私は小学校当時から、コロンボを意識してやたらキザなポーズを取る山さんや舌たらずの殿下なんかよりも、実直型の長さんがひいきで、彼のメインの回を楽しみにテレビを見ていた記憶がある。彼は作品中で娘を嫁に出したりと、ホームドラマ的なストーリーの回を担当したのみならず、一係中の最ベテランであり、捜査で行き詰ったボス(石原裕次郎)に向かい、「私は何の取り得もありませんが、あなたよりも刑事としてのキャリアは長い。それに免じて言わせていただければ、捜査は諦めた時が負けです」と諭したこともある。まさに、チームの父親役だったと言っていいだろう。そんな長さんがロッキー殉職とともに番組を降板してから、私はさっぱり「太陽」に魅力を感じなくなり、見るのをやめてしまった。まさに私にとっては、長さんあっての「太陽」だったというわけである。最近トーク番組に下川氏が出演しているのを見、マカロニ(萩原健一)やジーパン(松田優作)らが彼を親父のように慕っていたという話を聞き、なるほどと思った。彼の素の話ぶりは、長さんのキャラとほとんど変わらぬ庶民的で気さくなもので、待ち時間などに若い役者のよき話し相手であったことは容易に想像できたのである。「長さん」以降は、「スクールウォーズ」の校長役などが印象深いが、もっともっといろいろな作品の脇を固めて欲しかった。

70年代がテレビの黄金時代で、あの時代に実にたくさんのものをもらったというのは前にも書いたが、それらの作り手、演じ手だった人たちが次々に世を去っていくのは、えも言わず淋しいものがある。世代交代ということなのかも知れないが、我々はまだあまりに半チクなので、もう少し、父親役を任じていた彼らにはがんばってとどまっていて欲しいと切に思う。しかしそんな甘えは、もはや許されないのだろうか?

付記 ちなみに、国民的には「長さん」といえばミスターこと長嶋茂雄なのだが、彼は68歳にして脳梗塞で倒れ、現在リハビリ中である。私は野球にはまったく興味はないのだが、これ以上「長さん」の名称で親しまれている人がいなくなってしまうのは耐え難いものがあるので、切に回復を願うことにしたいと思う。
(2004/04/04)



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