01 昭和は近くなりにけり(1月)



年の初めに、いきなり回顧的なことを書くのは気がひけるのですが、最近どうにも気になって仕方がないことがあるので、あえて年頭一発目に持ってきました。そう、どなたもきっと思い当たるであろう、ここ数年の「慢性的昭和ブーム」についてです。

「鉄人28号」「デビルマン」「キューティーハニー」「新造人間キャシャーン」…。これらはみんな、今年公開予定の実写映画作品です。おいおい、どれもオレらが子供のころ見たアニメじゃん、て、みんな思ってますよねえ、1960〜70年代に少年期を過ごした世代の人は。
映画に限らず、テレビでも「鉄腕アトム」が現在オンエア中、年末にはスペシャルで「ブラックジャック」をやっていたし、1月からは「奥様は魔女」が米倉涼子主演(?!)で始まるし、「白い巨塔」は昨秋から好評放送中、去年は「高原へ行らっしゃい」もあったし「俺たちの旅」の30年後もやってたし、イケメン俳優勢ぞろいの平成「仮面ライダー」シリーズはもう何年もやってるし、まあ「西部警察2003」みたいに復活しそこなったのもありましたが…。
また、リメイクではないものの、今や懐かしい「8時だヨ、全員集合!」のDVD化がかなり注目を集めているようですし、コミック業界では、小説家に転身したはずの山上たつひこが「がきデカ」の新作を書いたことがホットな話題になっています。音楽の世界に目を(耳を)移してみても、一昨年の「亜麻色の髪の乙女」あたりからどんどんカバー曲が増殖して、「異邦人」をZARDが、「いい日旅立ち」を鬼塚ちひろが、「秋桜」を宮地真緒が歌ってしまうこのご時世。懐かしヒットソングのCDをおまけにつけたチョコレートなんかもバカ売れしてるというし、まさにリバイバル&リメイクブームここに極まれり、といったところです。

まあ、流行の周期は約30年、などと言われていますから、今おもに1970年代のアイテムが再流行しているのは当然の流れと考えられているようですが、それにしてもリサイクル率が高すぎると思いませんか? 実際、今から30年前の70年代に、それより30年前の、たとえば1940年代(第二次大戦中)のものがはやってたいうのは聞いたことがありませんし、これはどうも、深刻な文化の閉塞状態と考えた方がいいようです。要するに、今作られているオリジナルの作品が、あの時代に比べあまりに貧困で魅力に乏しいということです。


 たしかに60〜70年代はソフトの黄金時代だが…


作り手の端くれがこういうことを言うのは自殺行為かも知れませんが、ひとつの体制(たとえば戦後の民主主義)の中である程度文化が進むと、それ以上は新しいものが生まれなくなるという、文化飽和の法則みたいなものがどんな歴史の中でも当てはまるのではないでしょうか。30年周期というのは実は、30年で文化はひととおりの成熟を迎えるということなのかも知れません。たしかに、昭和20(1945)年に戦後の焼け野原(見たわけじゃないけど…)からスタートして、昭和28年に民放のテレビ放送開始、昭和30年代は高度経済成長路線をひた走り、昭和39年に東京オリンピック、昭和45年が大阪万博で、この年が1970年。私が小学校にあがったのも同じ年で、先にあげた数々のテレビ番組、絢爛たるテレビ文化が最盛期を迎えたのがまさにこのころ、戦後から30数年を数えた「70年代」という時代の出来事だったのです(カラーテレビが急速に普及したのも1970年代前半)。

皮肉な話ですが、ちょうどそのころ(1969年)書かれた手塚治虫の「火の鳥−未来編−」を見ますと、「人間の文明は21世紀を境に停滞し始め、30世紀には文化程度は20世紀くらいに戻ってしまった。市民はいたずらに昔風のファッションに身を包み、古き時代を懐かしむデカダンス(虚無主義)に陥っていた」という描写があります。まさに今のわれわれの状況を思い起こさせる光景で、案の定というべきか、この作品中のひ弱な人類は、コンピュータの誤作動による核戦争で、あっけなく完全に滅亡してしまいます。文化も科学技術も(この地球という星でさえも)、成長期を過ぎると活力を失い、老化し、やがて死に至るというかなりシニカルな未来のビジョンが提示されており、これが、高度成長の絶頂期に書かれてたことを考えると、手塚の洞察力はやはりずば抜けていたと思います(ただ、根がヒューマニストの彼は最後に「復活」の可能性を示唆して作品を終わらせていますが)。

また、やはり同じころに書かれた藤子不二雄(Fの方)の作品に「21エモン」という近未来マンガがあり、この中には、昭和時代までの古いものばかりを集めた「昭和村」というテーマパークが登場します。ワンダラー星人という犬そっくりの宇宙人がそこを訪れ、「どこに行っても新しいものばかりでうんざりしていた。これこそ私の求めていたものだ!」と、尻尾を振って喜ぶという場面が出てきます。これこそまさに、現代の我々の姿ではないでしょうか。昭和時代の町並みや駄菓子屋を再現したテーマパークが、今いったいどれだけあることでしょう。しかもそこそこ入館者がいるということは、それだけわれわれが今日の文明に疲弊してしまったことの証明なのです。手塚にしろ、その弟子すじの藤子にしろ、未来への夢を夢として見せるだけでなく、その闇の部分もきちんと描いていました。そういう先見性のようなものも、最近の作品には見当たりません。まったく、忸怩(じくじ)たるものがあります。


ワンダラー星人を「昭和村」にご案内。
「21エモン」より。
©藤子プロ・小学館
去年の小田急百貨店での催し「近くて懐かしい昭和展」。
思わず行ってしまった自分が悲しい…


こんなに沢山ある! 昭和懐かし系テーマパーク→(はすぴー倶楽部)

これだけ昭和に思いを引きずる人が多いのは文化的に見てかなり不健康だと思います。そう言いつつ自分なども、レンタル屋に行って借りるビデオは、60〜70年代の映画やドラマがほとんどだったりするのですから始末に負えません。映画を見たり、音楽を聴いたりするのは、リラックスや気分転換のためであり、そういう目的を考えると、現代のものより古いものの方が効果的だというのは一理あるのですが、このままこういった傾向が続けば作り手に未来はありません。
ただ、目下の状況を見ると、ソフトはあきらかに低迷していますが、ハードはまだイノベーションを続けているようで、DVDだ、MP3だ、ストリーミングだとにぎわしく、文化再生のカギを握っているのはハードである、という声を最近よく耳にします。しかし、そういう新しいハードを用いて見たり聞いたりするのが、30年以上も昔の映画やアニメや流行歌だったりするのでは、バランスが悪いのではないのでしょうか。やはり新しいハードを牽引していくのは新しいソフトであるべきで、そういう意味ではソフトを供給する側はリメイクなんかに頼らず、もっともっと現代のテーマを掘り下げ、それを作品へと結実させなくてはいけないのでしょう。いずれにしろ、今の時代に生み落とされている映像ソフトの多くが、30年先にはリメイクどころか、影も形も残っていないであろうというのは、誰しも口には出さないけれどうっすらと感じていることであり、作り手はその辺の問題にもう少し自覚的になる必要があると思います。もちろん、自分も含めて、の話ですが。
(2004/01/02)


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