タクラマ談話室 アーカイヴ コヤマナオコ

以下のインタビューは、2004年6月の「月刊タクラマ館」にアップされたものの再録です。
告知や情報等も当時のものですので、ご了承下さい。





コヤマナオコ (シンガーソングライター)

12月2日東京生まれ。武蔵野音楽大学音楽学部声楽科卒業。
02年、「ほろほろろん」がVMCオリジナルソングコンペティショングランプリ受賞。VMCレーベルよりCD化される。
現在は都内のライブハウスを中心にピアノ弾き語りのライブ活動を展開。04年5月31日に初のプチアルバム「てのひら」が、そして6月30日には「ありか」が収録されたコンピレーションCD「グランドピアノカフェにて」が発売された。



館主 ご無沙汰のタクラマ談話室、今回目のゲストはコヤマナオコさんです。

コヤマ どうも、コヤマです。よろしくお願いします。

館主 実はコヤマさんとの出会いは、ごくごく最近でして、「いくつもの〜」のテーマ曲を探してネット上をさまよっていたら、「カフェCD」というサイトでコヤマさんの「ライムライト」と巡りあったようなわけで。この出会いはなかなか衝撃的でして。「あ、こんなところにこんないい曲があったんだ」と正直ビビリました。

コヤマ いやあ、ありがとうございます。

館主 その後は、四谷天窓のサイトやコヤマさんのサイトで、「白の風景」や「ほろほろろん」を試聴したんですが、まあ、全体のクオリティが高いというのはもちろん、「コヤマナオコ」というひとつの世界がきちんとあるのに感服しまして。それで、コヤマさんのサイトを経由してメールをお出ししたら、翌日くらいにお返事が来て、それからは、とんとんと…。

コヤマ あのメールをいただいたのが、ちょうど長野から戻ってきた日なんです。私、父方の実家が長野で、作品のロケをされたっていう上田の別所温泉は、去年の秋に祖母の米寿のお祝いをしたところなんですよ。生島足島神社も知ってますし…。だから、すごく奇遇だなって。

館主 私は霊感とかあんまり信じない方なんですけど、この「いくつもの〜」は、そういう妙な偶然の符合がやたら多いんですよ。まあ、縁があった、といえば収まりはいいんですけどね。それで、そのあとすぐ横浜の能見台であったライブにうかがって、他の曲もいろいろ聴かせていただいたんですけど、やはり「ライムライト」が一番ぴったり来るね、ってことでわれわれの意見も一致しまして。

コヤマ 私、作品のビデオを見せてもらう前から、「ライムライト」が合ってると感じてました。

館主 それもすごい。ミュージシャンの直感なんでしょうか。ちなみに、「いくつもの〜」をご覧になった感想というか、印象は?

コヤマ 何ていうか、その場にいるようなリアルな感じなんだけど、ちょっと高いところから、俯瞰して全体を見ているような距離感もあって。その辺は私の作品と世界観が似てるような気がしました。色合いも、油絵ではなく水彩画っていう感じですよね。その辺の少し淡い感じなんかも…。

館主 いやあ、そういう風に近しいものとして感じていただけるというのは嬉しいですね。もっと早くから知り合っていれば、是非作品に合わせて曲を作っていただきたかったと思うんですが、これはまあ、次回のお楽しみってことで。ところで、ついこないだ、5月31日に、その「ライムライト」も収録されたCD「てのひら」が発売になったんですよね。


 コヤマナオコ 「てのひら」 (6曲入りCD−R)


コヤマ はい。6曲入りの、初のプチアルバムです。


館主 この「てのひら」っていうタイトルの由来は?

コヤマ 自分の印象なんですけど、ホントの幸せとか、大切なものっていうのは、手の中にあるんじゃないかっていう気がしていて。だから、手のひらを見てみて! っていう思いを込めてつけました。

館主 幸せは手の中に…ですか。「青い鳥」のラストみたいですね。と言いつつコヤマさんの手のひらを見てみてびっくり、結構、手、小さいっすね。ピアノの弾き語りをされてるにしては、可愛らしいというか…。

コヤマ 肉厚なんですけどね。親指から小指で1オクターブがやっとです。

館主 てことは、曲によっては演奏上厳しいものも?

コヤマ そうですね、それはやっぱりあります。でも、私の曲はあくまでも歌とピアノの合わせ技という風に考えていますので。

館主 なるほどなるほど。


 これがコヤマさんのてのひら!



館主 コヤマさんと歌との出会いってのは、いつごろなんですか?

コヤマ 歌うことは小さい時からホント大好きで、2、3歳のころ、ピンクレディの歌まねなんかに熱中してたんですね。それで、4歳の時、親に音楽をやりたいってせがんで、ヤマハの音楽教室に通ったんです。

館主 ヤマハの音楽教室っていうと、エレクトーンとかですか?

コヤマ エレクトーンもそうですけど、あとは、歌と、リズムと…

館主 なるほど。総合的にいろいろ教えてくれるわけですね。

コヤマ そうですね。家にはピアノはあったんだけど、エレクトーンはなくて、だから教室ではエレクトーンを習って、家ではピアノを弾いてました。その後、小学校5年生から個人のピアノの先生について、あと、声楽を習い始めたのが高校2年、17歳の時です。

館主 声楽っていうと…。

コヤマ クラシックです。うちの親が、ポップスを習うのには反対で、クラシックだったらいい、と言われたんです。

館主 じゃあ、実は不本意だった?

コヤマ いえいえ、とにかく歌が歌いたかったんで。それに、ポップスと違ってクラシックは、40歳くらいが成熟期で、20歳なんていうのはまだ子供なんですね。だから、自分はクラシックのプロになる気はないけど、ライフワークとして勉強を続けるのも面白いな、と今でも思ってます。

館主 クラシックとポップスじゃあ、やっぱり声の出し方って違うものですか?

コヤマ そうですね。両方とも腹式呼吸が基本てのはありますけど、クラシックの場合は、頭声を使って、共鳴させて、とか、いろいろメソッドがあって…。同じころ友だちに誘われてアカペラも始めたんですけど、両方の歌い方を勉強できたのはよかったと思ってます。

館主 それで、大学は声楽科に進んで、その一方でアカペラのサークルなんかにも入って…ということなんですが、その後、いろいろな歌唱形態を経て、現在はピアノ弾き語りってことですよね。私も2回ほどライブを聴かせていただいたんですが、ナンバーはほとんどがご自分の作詩、作曲ですよね。曲を作り始めたのはいつごろからですか?

コヤマ アカペラを始めたころですかね。もともと、自分はとにかく歌いたい人間なんで、自分が歌いたい曲を作る、みたいな発想だったんですね。こういうイメージの歌がないかなーって、探してみるけど、見つからないんで、じゃあ自分で作ろう、ていう感じで。

館主 てことは、まず自分が歌うことが前提としてあったんですね。詩やメロディーを作りたい欲求、というよりは歌を歌いたい欲求の賜物だったわけですか。

コヤマ そうですね。だから、私の作る曲って、いろいろ試みてはいるんだけど、最終的に出来上がるのは、「自分が歌うことがしっくりくる曲」なんですよね。

館主 詩と曲を両方作る人の場合、詩が先とか曲が先とか、いろいろ順番があると思うんですけど、コヤマさんはどういう感じですか?

コヤマ 曲によってまちまちですね。詩が最初に浮かぶ場合もあれば、曲の時もあるし…。

館主 ちなみに「ライムライト」は?

コヤマ あれは、最初に前奏が浮かんできて、その後は、ピアノを弾きながら歌って作りました。割と自然に出来た感じで…。

館主 そこら辺が、わからないんですよねえ(苦笑)。いや、私も高校時代に軽音楽同好会にいて、アコースティックギターを弾きつつ曲を作ってたこともあるんですが、たとえばC→F→C→G7、みたいなコード進行に乗せて曲を作ると、どうしても前にどっかで聞いたことのあるメロディになってしまって、オリジナルなメロディなんて絶対に浮かんで来ないんですよ。でも、曲を作る人は、「自然にメロディが湧いてくる」とか、「耳を澄ますと降ってくる」とかこともなげに言うし、そういう人の頭の中って、一体どうなっているのかなあと。

コヤマ あー、でも、実際そう簡単なものではないですね。「いい曲っていうのは、いい曲を作ろうと思わない限りできない」って大学の時の先生が言ってましたけど、その通りだと思います。いい曲を作りたいという意志っていうか、真剣でないと出来ないですよね。

館主 あ、そうなんですか…。

コヤマ たしかに、私なんかも、その曲の「核」になる部分は降ってきたりするんだけど、それは例えば最初の4小節だったりサビだったり、雰囲気だったり、間奏だったりさまざまで、でもそのままじゃあ、ひとつの曲にはならないですよね。だから、それを自分の中で肉付けしたり、磨いたりして…。ただ、やっぱりそういう「核」みたいなものは大切で、そういうものがなくてだらだら作った曲は、なんか面白くなかったりしますよね。

館主 じゃあ、その「核」が浮かんでくるには、どういう準備というか環境が必要なんですかね。

コヤマ うーん。そうだなあ。それまでの、その人の蓄積っていうのがあるじゃないですか。大嶋さんもそうだと思うんですけど、毎日毎日生活していく中で、いろんな見たものとか、感じた気持ち、耳にした音楽、そういういろんな情報が、意識するしないに関わらず降り積もったものが、じわじわっと形になって降ってくるっていうか…。そういうのは時間がかかるもので、だから、今浮かんだメロディーが、実際にはいつの何から作られたのかは、本当にはわからないと思うんですよ。

館主 ああ、いい話だなあ。地下の湧き水みたいなものですよね。うちの母方の実家の近くに「柿田川湧水群」ていう富士山の雪解け水が湧き出てくる川があるんですが、一体どれくらいの時間がかかって湧いてくるのか、正確にはわからないっていうんですよ。数ヶ月とも数十年とも言われていて…。人間の記憶の中から濾過されて出てくるものも、それくらいミステリアスですよね。





館主 最近かなり精神論に寄っているタクラマ館なので、コヤマさんにも是非お聞きしてみたかったのが、音楽にしろ美術にしろ、もちろん映像にしろ、作ることの原動力ってのは何なのかってことです。コヤマさんにとって歌うのは、何のためでしょうか?「ライムライト」には「誰かのため 自分のため…」というフレーズがあって、その順番が「自分のため 誰かのため」じゃないところが、ある方向を示しているとは思うんですが。

コヤマ そうですね、まず第一には、さっきから何度か言ってますけど、私には歌うことがとても自然なことで、というか、自分は歌わないとダメなので、聞いてくれる人がいる、いない以前に、自分は多分一生歌い続けていくと思うんですね。そういう、必然性のあるものには力があると私は思ってます。でも、それと同時に、これはだいぶ前に新聞のコラムで読んだんですけど、ガンジス川のほとりに長屋があって、世界の各地から流れてきた旅人がそこで何ヶ月、あるいは何年も、何をするでもなく暮らしている。朝日とともに起きて、日暮れとともに寝て、自然を愛でて、何の憂いもなさそうな生活で、それを見たジャーナリストが、「ああ、あの人たちは幸せですねえ」と言ったところ、ある高名なシスターが、「いや、私はそうは思いません。彼らの存在は自分の中だけで完結していて、誰かのために生きていないから。彼らは誰かのために何かをしているという喜び、誰かに必要とされる喜びを知らないから」と答えたらしいんです。「人に情けをかけるのは相手のためではなく自分自身のため」っていいますよね。それを読んで、なるほどなあって思って。

館主 たしかに、なるほどなあ、っていう話ですねえ。

コヤマ 好きで歌っているだけじゃあ、ガンジス川の旅人と同じっていうか、やっぱり自分の中で完結しちゃってると思うんですよ。それはそれで、自分の人生を豊かにするものだとは思うんだけれど、歌うことで何かできたらいいなって思ってます。別に、最初から、私の歌で誰かを勇気づけてあげよう、とか考えるんじゃなくて、結果として、そういう風になればいいなあって…。



最後の方のお話は、実は「火星のわが家」でも扱ったテーマでした。「歌うというのは自分にとってどういうことなんだろう? 自分の歌で誰かを幸せにすることなんて本当に出来るのだろうか?」ヒロインを演じた鈴木重子さん自身が、その辺の問題で一時期すごく悩んでいたという話を、撮影前にご本人からうかがい、了承の上、シナリオにも入れさせていただきました。まあ、鈴木さんにとってはすでにその問題は過去のことだったから、私にも話してくれたのでしょう。そして今日の話を聞くと、コヤマさんも、歌うことと自分との関わりについて、すでに答えを見つけているようでした。私は正直、自分が映像と関わるということの意味や態度について、依然として模索している最中なので、自分の道を着実に歩いてるコヤマさんのことが大層まぶしく思えました。時を経て地下水が湧き出るように、自分の中を濾過して溢れるメロディー、そんな大切なものを、末永く、愛でるように歌い続けていって下さい。
(2004/06/03)


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