09 「独身主義」は死語か?(9月)





とにかく最近は、30歳を過ぎても結婚しない男女が激増し、独身は珍しいことでも何でもなくなってしまった。ちなみに私も独身だが、まだどこか結婚というのは他人ごとのような気がするし、周囲の独身男女を見ても、ほとんど焦っているように見えないのはどうしたことだろう。これだけこうした傾向が顕著になると、何十年後かにはかなり国家的にヤバイ状況になっているのは確実だと思うのだが、今回はそういう社会問題は一旦置いて、私のお気に入りのクリエイターは何故か独身が多いんだよなあ、という印象を書いてみたい。

有名なところでは小津安二郎。原節子と噂は出たらしいが、小津も原も独身を貫いた。小津については、本人が独身で家族持ちの現実なんか知らないくせに、ああいう家族ものばかり作って、といぶかしく思われる節もあるが、逆に家族を持っていなかったから客観的に家族を見つめることができ、また常に家族への憧憬を持ち続けられたのかも知れない。
同じことは長谷川町子にも言えるだろう。「サザエさん」で日本の家族の姿を約30年に渡って描いたが、彼女自身は結婚して家庭を作ることはなく、娘時代から続く母や姉との生活を最後まで貫いた(母は先に没したが)。ちなみに小津も老年まで母親と2人暮らしで、母が没した翌年に他界している。小津と長谷川町子という、いわゆる小市民的家族ものの代表選手のような2人が揃って独身というのは興味深い。

いきなり外国に飛ぶが、スペインの彫刻家アントニオ・ガウディやデンマークの童話作家アンデルセンなんかも生涯独身だ。伝記などを読むと、彼らはかなりの女性恐怖症で、片想いの相手はいても、告白することができなかったらしい。アンデルセンなどは、晩年は国王が病気の見舞いに来るほどのVIPだったにもかかわらず、ついに妻をめとることができなかったという。ガウディの女性への億手ぶりもなかなかで「キリスト教に身を捧げれば、独身でいることはむしろ名誉になる」との理由であのサグラダファミリアの建設に粉骨砕身取り組んだらしい。

他にも、まあ実際数え上げればきりがないくらい表現者で独身というのは数が多い。ゴッホもそうだし、宮沢賢治楳図かずお中島みゆきもそうだ(国や時代やジャンルがバラバラですみません)。だからどうしたと言われても困るが、普通に家庭生活を営む能力と、何かを創作する能力というのは微妙に似て非なるもので、「生活」を健全に構築できる人間には、「創作」は似合わないのじゃないかという気もする。もっともこのごろは、生活と創作を見事に両立している進歩的文化人というのも割合に多いので偉そうな決めつけはできないが、創作は死の本能であるタナトスに基づく、と私なんかはつい古臭いことを考えてしまう故、「平和で明日への活力をもたらす家庭生活」なんて永遠に縁遠いものに思えてしまうのだ。それにしても、昔ならば「創作をしているから自分は独身主義なんですよ」と、ちょっと気取って(というか強がって)いられたが、独身者がこれだけ増えてしまった現在では、もはや「少数者の特権」という言い方がまったく出来なくなったことが残念といえば残念である。そう言えば最近の日本は、総理やIH長者までが独身(ただしバツイチ)だし、いやあ、日本の「家族」はこれからどうなっていくんでしょうねえ。
(2005/08/31)



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