05 まぼろしの北京行(5月)


このコラムは、普段あまり政治の問題には触れないのだが、今回は特例となってしまいそうだ。靖国参拝や教科書問題、国連常任理事国入りなどの問題に端を発し、先月中旬から中国本土での反日運動が激化したのは周知の通りである。現在では国がデモを禁止するなど鎮静化の方向に向かっているようにも見えるが、果たしてこの先どういうふうに風向きが変わるのかは、誰にもわからないようだ。そんな情勢の中で、私の生活にもこの政治的軋轢の影響が、意外な形で現れた。
実は4月の21日から、北京電影学院の主催で、日中映画文化交流「日本映画祭2005・北京」が開かれることになっており、そうそうたる日本の若手中堅フィルムメーカーの末席に連なる形で、私なども招待を受けていたのだが、それが計ったようなタイミングでの北京の反日デモ勃発のため、4月10日の時点で惜しくも延期(中止?)となってしまったのである。
せっかく、生まれて初めての北京に、しかも旅費滞在費向こう持ちで行ける絶好のチャンスだったのにと悔やまれてならないが、こればかりはどうしようもない。映画祭の主宰者側は、日本から招いた客人にもしものことがあっては、という配慮から中止を決めたようで、それはそれでもっともな判断だろう。しかし、今日のように政治的な軋轢が高まっている時こそ、文化的なレベルでの交流を活発にし、それによって相互の理解を図るべきなのに、という思いも強い。卓球少女(もう少女じゃないか)愛ちゃんの親善大使としての活躍が期待されているようだが、スポーツに負けず劣らず、映画や美術、文学といった文化関連での交流が、これほど切実に求められる時もないのではないか。
映画祭については、秋以降、仕切り直しをする意向らしいが、こればかりはその時の両国の政治情勢に委ねるしかない。少なくとも、一度こういう形で延期をしてしまうと、また次の時も同じような逡巡を繰り返すことになるかも知れず、文化活動はできる限り政治的な思惑とは切り離されたところで展開されてしかるべきだと思う。とはいえ、大使館や日本料理店を破壊して回るあの凄まじい反日パワー吹き荒れる中、映画祭を開催するので来て下さいと言われても、それはそれで考えてしまうが。
日本がかつてアジアの覇者となるべく大陸に進攻したことを、理不尽な侵略であるとしていまだに根に持っている中国、韓国の人々は多い。日本はそれらの国に侵略された過去はないから、被害者感情は共有しにくい、というか理解できないのである。先々月のコラムにも書いたが、人間は他者を害したことはすぐに忘れるが、害されたことは容易に忘れない。そういった感情の溝を「想像力」を駆使して埋めていくのが、それぞれの文化の役割であり、文化交流の意味もまさにそこにあると思うのだが、いかがなものだろう。

今日(4月30日)は父・青江舜二郎の二十三回忌である。生誕百年企画もどうにかメドがついた今、父が戦時中8年も滞在した中国に、命日と同じ4月に訪ねるというのも何やら不思議な因縁だなと感じていたのだが、残念ながらまぼろしの旅路となってしまった。願わくば、これがかの国との永遠(とわ)の別れにならないことを祈るばかりである。
(なお、冒頭の天安門の写真は、いつも作品製作でお世話になっている三本木久城さんが撮影したものです。彼が北京に出向き、この写真を撮ったのがジャスト1年前の5月1日。あのころは排日運動なんて影も形もなかったのに…)
(2005/04/30)



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