01 11歳のアーカイブ(12〜1月)


今日は大みそか。あと12時間ちょっとで今年(2004年)も終わりである。今年を一字で表わすと「災」だそうで、確かに、史上空前の地震やら津波やら台風やら、自然の厄禍がやたら多かった(まあ、人災も相当なものでしたよね)。
…などと過ぎた時間に思いを馳せるのも年の暮れならでは、と言いたいところだが、今年1月のコラムでも書いた通り、ここ数年の日本の懐古ブームはその後もとどまるところを知らず、今やわれわれは年末でなくても、しょっちゅう過去のことを振り返っている。今年流行ったと言われる冬ソナやセカチューだって、つまるところ「赤いシリーズ」や「愛と死をみつめて」の完全な焼き直しじゃありませんか(あーあ)。

余談ながら先日(12/26)、父(青江舜二郎)の生誕百年企画のための調べもので、大田区にある、昭和のくらし博物館というところに行ってみた。そこは昭和26年に建てられた一戸建てを、もとからあった調度品ごとそのまま展示、というか開放しているちょっと不思議な空間。そのころには別段珍しくなかったごく普通の住宅が今や博物館になってしまうのだから、現在の懐古ブームは根が深い。ていうか、半世紀くらいで次々作っては壊すという風潮がどうかしているのだが(先月のコラムとだぶってしまった)。


 これがその博物館。ペンキは最近塗り直したとか


まあ、それはさておき、本来人間の思考タイプには過去回想型未来展望型とがあると言われる(動物占いなんかでも2つのカテゴリに分けているようだ)。今は時代のせいか過去回想型の人間が多いようだが、私などは、たとえ時代がどんなに前向きであろうと、過去回想型人種のように思われる。また、人間というのは老化とともに、未来展望型の人であっても過去回想型に移行していくと思われがちだが、決してそうではなく、過去回想型は、それこそ小学生のころからすでにそうなのであり、また、どんなに高齢になっても未来展望型の人間は明日を夢見続けるのである(満100歳で親子4代の同時スキー滑降をやってしまう三浦敬三なんかがいい例)。どちらが人間的に理想とすべき生き方かと言われると最初から勝負はついてしまうのでひとまずおいて、ここからは少し自分の話をさせてもらうことにしよう(年末に免じて過去の話もお許しを)。

身辺に起こったことを書き留める、それをまた後から読み返して反芻する、というのは、多分父親が物書きだったからというのもあるかも知れないが、とにかく小学校4年のころにはすでに日記をつけるのが習慣になっており、年の暮れには「今年の自分の5大ニュース」と題したトピックを書き綴っていた。小学校5年の終わり(1975年)には、11歳にして自分の半生記「わたくしの体験」(何てストレートなタイトル!)というのを、製本してある白い立派な雑記帳に書き始めるが、体験といってもそこは小学生の悲しさ、「林間学校で生まれて初めて外泊し、2時間しか寝られなくて次の日のハイキングでバテた」とか、そんな他愛もないエピソードしか書くこともなく結局未完。しかし翌6年生の卒業時には、学校の課題ではあったが、原稿用紙30枚以上におよぶ「生い立ちの記」を、写真なども交えそれなりに立派に完成させた。また、小学校5年から中学2年にかけて、従兄弟と2人でラジカセに吹き込む声のドラマを足掛け3年やっていたのだが(最初は「独眼竜シリーズ」といって「名探偵ホームズ」や「怪盗ルパン」のような1話完結の推理ものだったが、その後1年ごとに「独弾魔シリーズ」「ブラックファントマシリーズ」とタイトルが変わり、次第に世界制覇を企む国際秘密組織と私立探偵との死闘を描く、「仮面ライダー」的連続活劇に変貌。この辺は声のドラマなので何でもありなのだ)、小6の正月(1976年)には新春特別企画としてそのシリーズの「総集編」を、ラジカセ2台使って過去の名シーンをダビングしまくりで製作している。今でも年末になると大河ドラマの総集編をやっているが、まさにあのノリである。また、わが大嶋家では私が小学校2年の時(1971年)から、毎年夏には長野の山荘でお化け大会という催し(一家のそれぞれが扮装もしくはオブジェを作って、山荘の地下室や近くの林で脅かし合う)をやっており、1976年にはめでたく(?)6周年を迎えたので、それを記念して、過去のオブジェを修復、再現し「大嶋家恒例お化け大会の歴史展」というのを開催している(観客は当然うちの家族だけ)。とにかくまだ思春期に入る前の、いわゆる幼少期から、「折にふれて過去の出来事や製作物を見直し、総括しておく」という習慣がすでに養われていたようなのである。なかなか早熟な子供だったとは思うが、当然のことながらこういうアーカイブ好きの文化系少年はいたって運動が苦手であり、それゆえクラスのメインストリームになりえなかったのが今でも悔やまれるところである。
その後、中学や高校に入っても、年末には日記の巻末に総集編を長々と書く習慣が続き、今日でもなお、大みそかともなると三年連用日記をめくり直し、ああ、去年の今ごろも風邪引いてたのか(ちなみに今も引いている、ゲホゲホ)、などと、過ぎた時間に思いを馳せるのである。そんな私なので、過去の作品についてああだこうだと語るのも好きで、だからこそホームページでの作品紹介なんかも、結構楽しんでやって来たのだと思う。作品をひとつ作り終えると、すぐ次の作品に気持ちを切り替えられる未来展望型の作家もいるが、自分にはとても真似ができない。ひとつの作品につき最低1ヶ月、下手をすると半年から1年以上引きずってしまう。もっとも、作品を作るという行為自体が、現在進行形でありつつも、過ぎていく時間を何とか形にとどめようとする、どこか過去回想的な営みなのであり、そういった意味では、創作者というのは、根っこのところではみな過去回想型なのかも知れないが。


 2002年から使った3年連用日記。今年は買い替えである


なんて書いているうちに外では雪が降りだした。雪の大みそかっていうのも、ありそうであまりなかったのじゃないだろうか。少なくとも、ここ20年くらいの私のデータ(日記)には記録されていないような気がする。さて、年を越すには食糧もいささか心細いので、本降りにならないうちに買出しに出かけるとしましょうか。では、どなた様もよいお年を!(と言いつつこれがアップされるのは年が明けてからだもんな〜。いつもながら年末年始のネタは頭が痛いですわ)
(2004/12/31 ていうか 2005/01/01)


 
かなり積もったのに、残念ながらその後は雨に…


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